再び、「東京オリンピック」開催議論

 午后5時半まえ、曇天。気温23度ほど。寒くもなく、暑くもない、過ごしやすい日中であった。併し、幾分湿気は多い。

 今更、東京オリンピックの開催、中止の議論をするのは意味がないような気もする。が、もし、東京で、日本で、爆発的に新型コロナ患者が増えたら、どうすのか。オリンピックを続けるのか、途中で中止にするのか、なにも、明確な計画が発表されていない。

 ただ、亡霊のように前総理の安倍晋三氏が「(日本人選手のメダル獲得などの)感動を共有することは日本人同士の絆を確かめ合うことになる」と言ったり、また「自由と民主主義を奉じる日本がオリンピックを成功させることは歴史的な意味があり、日本にはその責任がある」と言ったりしている。併し、「感動」も「絆」も平時に言うべきことであり、非常時のいまに言うべきことではない。亡霊は常に好戦的であり、オリンピックを中止せよ、と言っている者たちを一方的に反日的と決めつけて済ませている。オリンピック中止派からすると、開催派のほうが日本を滅亡に誘い込む「反日派」に見えて仕方がない。

 勿論、私は東京オリンピックが成功することを望む者である。併し、今の、この新型コロナが蔓延している時期にオリンピックを開催するのは無謀であると言っているだけだ。新型コロナが収束したら、ゆっくりと、確実に、安全に開催すればいいのである。ただ、それだけのことである。で、あるのに、無闇に、なにを急いでいるのかを明確にしないで、無理やり開催するのでは支持は得られるはずはないのである。