屈辱的な東京オリンピック

 午前9時まえ、晴天。本日の土浦市の最高気温28度。春と云うよりは、夏日である。日焼けしないように麦わら帽子をかぶろうと思う。

 東京オリンピック開催に際しては、とうとうオリンピックを開催すること自体が屈辱的、国辱的なことになってしまった。日本に対してIOCが向ける視線は、日本を揶揄し見下した差別的なものになっており、オリンピックを開催する云々以前に、日本人、アジア人、黄色人種に対する人種差別の意識が底流しているように感じる。日本人ならばオリンピックのために犠牲になっても仕方がない。オリンピックは、すべての事象に優先されるといったオリンピックの優越性を感じる。

 何故、オリンピックは開催されねばならぬのか。もともと「平和の祭典」として崇高であったはずであるが、今のオリンピックにはそれを感じない。いつしか利権まみれになり、IOCはスポーツ精神と乖離した汚穢の集団になってしまっている。そのことは、この度の東京オリンピックですっかり露呈している。しかも、IOCの面々は悪びれることもなく差別意識のあることすら気がついていないようである。

 日本人は、いま覚醒しなければならない。それが試されているときである。今まで何事もずるずると進めてきたが、今度の東京オリンピックは、きっぱり拒否すべきである。これが出来ないと、今までの諸問題である北朝鮮の日本人拉致問題も解決できないし、北方領土も奪還できず、尖閣諸島も中国に蹂躙され、竹島も韓国に占領され、従軍慰安婦問題も捏造されるにまかせることになる。

 東京オリンピックを開催することは、日本人を貶めること、全世界に日本人の軟弱性を発表するようなものである。

 しかも、先頃「米国務省が日本に対する渡航警戒レベルを4段階のうち最も厳しい「渡航中止・退避勧告」(レベル4)」とした。このような状態で、オリンピックが開催できるはずもなく、また無理にも開催すれば、今まで経済活動や生活全般を自粛してきた日本国民にたいして言い訳はできないことになる。

 併し、また、このような状態でありながら無理にも開催するとしたら、オリンピック開催の大儀はどこにあると言うのだろうか。