過去に郷愁す

 午後1時半まえ、雨天。気温13~22度。先程から小雨が降り始めた。パラパラ音がするので、雨が降っていると思っている。

 近頃、いくつかの訃報に接し、気持ちが塞ぐことが多い。有名英国俳優の死去の報も残念であるが、身近なひとの死の一報も、また悲しいものである。ご冥福を謹んでお祈りしたいと思う。そして、トルコでは、コロナ禍のなかに地震の被害である。まさに、一難さらず、また一難、である。被害に遭われた方々にお見舞いを申し上げたい。

 まあ、一方的に沈んでいても詮無いことである。こう云うときこそ趣味に没頭したい。

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 金魚7円、白菊15円切手の初日カバーである。この金魚7円は、とくに郷愁にひたれる切手である。併し、この画像にある切手は7円の数字が濃い古い初版の物で、この金魚は、ほんとうは私の郷愁の切手ではない。私の郷愁の金魚の切手は、数字が薄い色をしたあたらしい版の物であり、私の郷愁は改竄されている。併し、私は改竄を良しとして受け入れている。もっとも、初版、再版の切手は、発行年が1年ぐらいしか違わないので、私の郷愁も案外、濃い数字の切手の記憶が混ざっているのかものしれない。どちらにしても、私の郷愁など、世の中の動乱にくらべれば、どうでもいいことである。

 最近は、コロナ禍慣れをしてしまった。私は、うっかり、世の中がコロナ禍であることを忘れそうになるときがある。石橋を敲いて渡らない私ですら、そうであるので、普通の感覚の人たちは如何ばかりかと思う。気の緩みは、世の崩壊のはじまりである。今こそ、コロナ禍に対する様々な法律を制定するときだと思うが、どうであろうか。せめて、マスク着用義務だけでも法律をつくれないものだろうか。