新型コロナ対策

 午前10時半ごろ、晴天。本日の気温5~14度。わりあい暖かくて助かる気温である。併し、部屋の中はエアコンの暖房を強風にして暖をとっている。

 結局、今年一年は、まるまるコロナ禍で終わってしまった。コロナ禍に驚き、始まり、コロナ禍に萎縮して終わるのである。なにも手につかなかった。必死でコロナの雨(霧か靄)を避けて生きて来た。それしか無かった。私の手許には、新型コロナ感染対応としてのパルスオキシメーターがある。これは8000円以上もする高価な医療機器であり、これで血中酸素飽和度を測り、肺炎になっているか、否かを測定する。新型コロナは恐ろしい疫病である。本人が知らないあいだに肺が侵されて、気がついたときには死ぬのである。そして、実際死んだひとがいた。医者は判っていながら見殺しにしたのである。そして、今度は現役の政治家(53歳)が死亡した。コロナ肺炎が否かはわからないが、兎に角、新型コロナで死んでしまった。

 コロナ禍対応は如何にすべきか。医療体制を破壊するな、経済を破壊するな等、叫ばれて久しいが、実際のところ、どうすべきなのか、全世界で明確な答えは出ていない。判っていることは、新型コロナは恐ろしい疫病である、と云うことである。それは間違いがない。あまりに凶悪な疫病ゆえに、人々は狼狽困惑し、あらぬ方策ばかりを立てて迷走している。今般のコロナ禍にあっては方策はひとつしかない。それは感染する場面を極力減らして社会活動をする。破壊される業界の人々を各国政府が保護し、業態変化するしかない。経済を守って人々を殺すと言っている者たちもいるが、たしかに歴史を見れば、先の大戦でも310万の人々が死に、併し、われわれは生きているのである。誰かしら生き残ればいいと言うのは、政治家か経営者の言い分であり、ただ生活して、生きていたい者たちの考えではない。失業する者は、失業するしかない。失業したら社会は、失業した者に手を差し伸べるべきである。失業した者は勇気をもって新しい道をさがすべきである。それが新しい世界、コロナ禍と共に生きる世界だろうと思う。

 コロナ禍と共生と言っても、疫病と共生できるはずもなく、「ウィズ コロナ」は間違いである。まちがったメッセージは、まちがった対応を生んでいる。新型コロナが、さも脆弱で、友好的であり、組し易しのような錯覚を与えている。