コロナ禍帰省問題

 午後0時半すぎ、曇天。気温35度まであがる予報。今日も、うんざりするような暑さが来る。

 昨日は、午後3時半ごろは、気温32度ほどで、なんとか外出ができ、コインシャワーに行けた。私は、今年の春頃より新型コロナ感染予防として銭湯へは行っていない。もう、半年ぐらいは風呂に入っていない。東京都の発表では、銭湯へ行くことは禁じていないが、銭湯は所謂3密そのものであり、脱衣所は勿論、洗い場、浴槽、すべて3密である。洗い場では席をひとつあけても隣までは1メートルほどであり、洗い場は湯気で熱く、湯客の吐く息も荒くなる。咳をする者も多い。この吐く息でコロナに感染しないと、どうして言えるだろうか。少なくとも都知事は銭湯通いをしていないと思われるので(私の想像である)、行っていない者に銭湯の危険がどうして判るだろう。それから、銭湯では、無闇に話しをする湯客が多い。銭湯仲間であろうが、こう云う節には益にならない。それに五月蠅い。唄をうたう湯客もいる。衣服を入れる棚、洗い場に入る扉の把手、洗い場の蛇口、シャワーのレバー、洗い桶、椅子、すべて消毒がされていない。銭湯なので、お湯で流せば大丈夫のような気もするが、実際には使用後の桶、椅子は洗浄されることもなく、桶は、桶の山に積み重ねられ、椅子も椅子の山に積み重ねられるだけである。蛇口、シャワーのレバーに至っては使用後の洗浄を見かけたことはなかった。そして、浴槽である。プールのように大量の塩素が入っているわけではないようなので、心配だ。殺菌の方向にいっていないと、菌はは摂氏70度以上でないと死滅しないので、40度ほどの温度ではコロナは生きていることになる。コロナ保菌者は、浴槽の中で自分の顔に湯をかけてはコロナ菌を湯のなかに溶かし込んでいる。そんな湯船に入ることは自殺行為である。

 青森市では、帰省問題が発生している。東京から青森への帰省で、この節の帰省は無遠慮であると云う。コロナ菌をばらまくなと云うことである。帰省を批判した者は、帰省した者に紙に書いた批判を投げ込んだらしく、帰省した者は批判文章の紙を警察に届けた。どちらが悪いのであろうか。批判文章を書いた者か、または帰省をした者か。

 いま日本の社会は、コロナの恐怖に支配されている。新型コロナウイルスに罹患する年代、軀の具合によっては、このコロナは即死する。罹患して、苦しんで1週間ほどで死亡するとしたら、コロナ保菌者のことが、どのように見えるのか。若者を死神のように表現していた高齢者がいたが、成程と、心の裡が判る。

 帰省批判文の投げ込み行為と風呂に半年入らない行為は似ている。どちらもコロナ禍恐怖に支配された奇行である。愚かしく理論的でない。併し、今、われわれは科学を知らない中世時代に投げ込まれた気持ちでいることも確かである。