コロナ禍問題3

 午後5時まえ、曇天。気温32度。やはり、暑い。9月と言っても盛夏とかわらない。

 来年の春ごろまでには、台湾の出版社から日本のオルタナティブ漫画集が刊行される予定である。所謂、ガロ系アックス系の錚々たる漫画家にまざって私の木版漫画も掲載される。これが、ほんとうに刊行されれば、たいへん名誉なことである。ようやく、私も、しっかりした漫画家になった気持ちになれる。もっとも、刊行された書物を手にするまでは、まだまだ気持ちを緩めてはおれないが、無事に刊行されることを切に祈るばかりだ。

 またしても、コロナ禍問題である。今度は、新型コロナ感染症の後遺症の話である。海外では、以前から後遺症のことが取り沙汰されていたが、日本でも、やっと後遺症の研究が始まった。8月からと言うから、まだ最近の話である。

 コロナ後遺症の症状は、多岐にわたる。治った、と医者から言われても、倦怠感、頭痛、発熱、咳、が続き、嘔吐、下痢、味覚異常、嗅覚異常があり、胸痛、動悸、呼吸困難、息切れ、不整脈、血管痛、関節痛、筋肉痛が治まらない。人によってはいろいろな後遺症の組み合わせで出ているようだ。これでは、コロナはまるで完治していない印象であり、コロナは簡単な、軽い病気ではない。たいへん恐ろしい病気である、とするべきでる。 

 コロナ禍問題は人類の存続に関わる問題である、に変更すべきではないだろうか。日本でも、経済界関係の人たちが、経済を優先させることをしきりに宣伝しているが、コロナで倒れるのは、まずは貧乏人が先であり、金持ちは倒れない。金持ちは貧乏人を楯にして、犠牲にして、自分たちだけ生き延びようと画策している。

 貧乏人は、金持ちの口車に乗せられて、うっかりしているときではない。自分が生き延びるために閉鎖した環境に移り、今の状況を自覚して生きるしかないと思う。そして、貧乏人同士団結して、それから戦いたいが、今は、これからは、人々が実際に集まって、3密になることはできない。ネットが繋がるうちはネットで繋がり、ネットが駄目になったら無線機でも、伝書鳩でも使って連携してゆく以外にないと思う。今は、しずかに小さな共同体をつくり、自閉する。鎖国をする。グローバル社会を夢見ていた金持ちたちの目論見はコロナ禍の為に水泡に帰したのである。

 これからは、貧乏人の時代の到来である。全世界は貧乏になり、共同体は、家族の単位まで縮小される。隣りの家族との接触は、直接ではなく、無菌状態を作ってからおこなわれる。他人は、すべて黴菌扱いとなり、排他的となり、それが常識となるだろう。恐ろしい世界であるが、もう一部では始まっている。コンビニやスーパーマーケットのレジでは当たり前のように透明ビニールシートが上からさげられている。われわれは、それを常識と捉えはじめているのである。まだ、路上でマスクをしていない者がいるが、これも、次第に全員がマスクをするようになるだろう。マスクアレルギーの者はマスクの代わりにフェースガード着用が当たり前になる。考えてみるに、前時代では路上喫煙をして、その煙が非喫煙者にまで届いていたのである。煙草のけむりであれば、即発病とはならないので、大目に見られていたが、今では路上喫煙も駄目になった。その観点から考えると、新型コロナも煙草のけむりのように他人に届いているのである。ここまで判っていながら対策をとらないとしたら怠惰と云うよりは犯罪行為と言うより他はないであろう。誰が保菌者か判らない以上は他人に感染させない態度(マスク)が必要であり、そうしないとマスクのない者は、街の無法者、乱暴者に成り下がるしかなくなる。私は、マスク警察を自任していないが、マスクをしていない者は、私に対して無礼であると思っている。どのような理由があるにしてもマスクのないものは無神経であると断じている。