コロナ禍問題2

 午後6時まえ、曇天。東京の本日の最高気温33度。すこしまえに雨が降り、若干涼しくなったようだ。

 いま私は、年来念願であった私家版短句集「焦眉の風」の版下製作を続けている。この句集を、今年の晩秋頃には刊行したいと思っている。

 また、コロナ禍問題である。コロナに感染すると差別され、誹謗中傷がひどい、とネット記事にある。私は、一年以上直接他人と濃厚接触していないので、人々のあいだでコロナで差別し合っていると云う雰囲気を看取できなかった。併し、コロナに感染していないが、東京在住者と云うことで、地方に在住している者たちから差別と云うよりは排除を受けた。実際、私たちが地方に行くことを拒否され、こちらの都合でなく移動できなかったことがあった。その排除が正しかったのか、どうかは判らない。併し、たしかに私たちの移動がない為に感染リスクはなくなるのは事実であった。私たちの不利益の為に、他の者たちに利益があったとするならば私たちの不利益も意義があったのかもしれない。また併し、私たちの利益の為に、他人が不利益を受けた場合はどうであろうか。私たちが感染を広げなかったとしても、東京から来たと云うことで差別され、誹謗中傷を受けるのかもしれない。私たち都市生活者は、地方生活者にとっては高感染リスク者にほかならないのだろう。

 それから、政府のコロナ禍対応であるが、近頃はテレビニュース、ネット記事での詳細なコロナ情報が少なくなっている。GoToトラベルキャンペーン以降、感染者は増え、重症者はコロナ第1波時の2/3程に増えているが、それを宣伝することはなくなった。

 新型コロナ発生当時から政府のコロナ禍対応は悪く、国民のコロナ禍の対処方法を明確に提示できないでいた。そして、今ふたたび国民のコロナ禍対応を明確に示していない。実際、何をすると感染するのか、しないのかを言わない。飲みに行き、マスクをはずして、人と喋ると、感染する。狭い店で、ぎゅうぎゅう詰めの椅子に座ってラーメンを食べると感染する。それを言わない。

 スーパーマーケットでの買い物だと感染しない。私が今まで感染していなかったので、スーパーマーケットでは感染しないと暫定する。もっとも、私はすでに無症状感染者または感染経験者かもしれないが、感染していないとする。

 私のスーパーマーケットでの買い物時間は5分間もない。店内では他の買い物客になるべく遭遇しないように心掛け、5メートル以内には近づかないようにしている。そして、買い物をしてきた商品は、ビニールのあるものはビニールの上から石鹸をつけて泡立て洗っている。コロッケなどの揚げ物は電気トースターで熱を加えて殺菌してから食べている。野菜などは加熱したり水洗いをして殺菌滅菌につとめている。刺身は、まさか加熱することはできないので、これはギャンブルである。食べて感染するか、食べずに感染しないか、である。併し、食べずに他で感染することを思うと、食べたほうが良いとなる。つまり、何をするかは、もう個人が、その時々に決めてゆく以外にない時代になってしまっていた。何をするにも命がけである。そして、自分の行動で容易に他人を殺すことも出来るわけである。恐るべき時代の到来である。

 私は、今はスーパーマーケットの他は行かないようにしている。他の場所はすべて危険地帯に思えるわけである。コロナ禍以前なら、図書館へ行き、古本屋を覗き、ときおり、ラーメン屋へも行っていた。それからウィンドショッピングもしていた。意味もなく阿佐ヶ谷パールセンター内の各種店内を徘徊し、足腰の鍛錬をしていた。併し、今では、それも無くなった。