非現実的な明日

 午後1時半すぎ、晴天。気温20度。春らしく、暖かい。庭に出て陽を浴びると、気分がよくなった。庭の草もしだいに伸びてきて春の息吹を感じる。
 晴天の太陽を仰ぎながら現実とは思えない現実がある。安っぽい映画のストーリーのような展開で、バカバカしい。ほんとうの事とは思えない。あまりにもアホらしいので、本気になって議論できなかった、と云うのが実際のところかもしれない。併し、そんな莫迦げたことを本気になっている国があり、それに巻き込まれようとしている。莫迦だ、アホだと言っていても仕方がない。今は個人で出来ることをみつけてやるしかない。
 つまり、私たちは、ミサイルが飛んできたら堅牢な建物のなかに入って、できれば地下に潜って身をかわす。核兵器、または化学兵器生物兵器の被害を避けるためにガスマスクを用意しておく。できれば防護服を用意できれば尚可である。併し、そんなことは、なかなかできない。私のところには銅版画制作用のガスマスクがひとつと、防塵マスクがひとつあるが、こんなもので効果があるのか判らないが、杉花粉には効果があった。
 こんな莫迦げたことを考えなければいけないのは、結局のところ憲法9条をいい加減に扱ってきたツケが回ってきているとしか言いようがない。敗戦になって、9条を押しつけられて、それを諾々と遣りすごし、周りが変化しようとも、自ら変化しようとしなかったツケが回ってきているのである。