故郷は、日本

 午前11時半ごろ、晴天。気温2~9度。朝7時半、寒すぎて目が覚める。まったく以って冬と云うことになった。

 東京脱出を企てて、早2年が過ぎた。いまだに東京に留まっているのは、余程運が悪いか、だらしがないのかの、どちらかである。

 いま私たちは、茨城県の土浦移住を計画している。徐々に、計画は行動に移り、そして、実行している。併し、私たちがいくら頑張っても相手のある話であるので、何をするにも一朝一夕に済むことではない。

 土浦に決まるまで、それこそ二転三転どころではなく、五転六転以上の変転につぐ変転があり、変転の軌跡を列記すれば、練馬の狭小一戸建てから、東京立川のアパート、団地、武蔵小金井のアパート、多摩競艇場付近のアパート、そして、土浦市小松3丁目の墓場よこの一戸建て、福岡県大牟田市歴木(くぬぎ)の一戸建て、同市三池の一戸建て、佐賀県の用水路に囲まれた集落のなかの一戸建て、滋賀県彦根市佐和山城跡の一戸建て、または山形県鶴岡市三瀬の廃屋二か所、佐渡島の庭つき蔵つきの農家などもあった。

 すべては値段で決まってしまうので、どこに行くことになるのか判らなかった。実際、莫迦な話である。自分の人生が廃屋同然の家屋に左右されるなどと云うことはあってはならぬことである。併し、現実は苛酷だ。ホームレスにならぬ為の算段として廃屋への移住があり、そこから生活を立て直さねばならぬ。そして、コロナ禍も加わり事態は思わぬ展開を見せている。私たちの、個人的な生活における戦争状態とは別に、これに全世界のコロナ戦争である。まったく混迷につぐ混迷で先がまったく見通せなくなっている。

 グーグルマップで日本全国を旅して回ると。実際には行ったことも無いのに、すでに行ってしまった気がしている。安い家を探していると日本全国に行くことになる。北海道の僻地、山口県の斜面の家、山形県には米沢市のなかにも物件があり、物件の家から最寄りのスーパーマーケット、コンビニまでマップで行くと、実際の風景とほぼ変わらない風景がひろがっている。