不安定な世界

 午後7時まえ、晴天。室内気温26度。だんだん涼しくなってきた。夜ともなると、すこし肌寒いぐらいである。

 映画「機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島」2022年制作を見る。この映画は反戦アニメになっていて、華々しいガンダムの出番はほとんどない。ククルス・ドアン(脱走ジオン兵士)は、戦場で孤児になったとおぼしき子供たちの世話を無人島然とした小さな島でしていた。そこに連邦軍であるアムロ・レイほかの兵隊たちが掃討作戦として島に上陸して、そして、ククルス・ドアンが操縦しているとおぼしきザク(ジオン軍のロボット兵器)とアムロが操縦しているガンダム(連邦軍のロボット兵器)が戦い、ガンダムは島の崖から墜落して、アムロは行方不明になり、そして、ククルス・ドアンに助けられた。アニメの筋書きは不可解な点もあるが、「機動戦士ガンダム」が堂々たる反戦アニメになっているのに隔世の感をつよくした。それから、戦災孤児たちの描写に念がいっていて、見ていてガンダムであることを忘れ、なんだか「機動戦士ガンダム」と云う戦うアニメ自体が罪悪であるような気がしてきた。戦災孤児たちは現実の被侵略の子供たちのようでもあり、いたたまれない。

 ジオン公国は、独立戦争だと言っていたが、戦争は、やはり、ただの殺人に過ぎない。侵略国は被侵略国に難癖をつけて侵攻しているが、やはり、侵略国は悪い。ただ、それだけである。もしも、被侵略国に非があるとしたら、被侵略国は侵略国より正常であることと、被侵略国が国家であると云うことだけである。国家は暴力をおこなう装置であるので、結局、巨大な暴力を誘発させることになる。国家をなくして、地球まるごと、ひとつの団体として統一した法律で統治する。もうそろそろ、そう云う考えが出てきてもよさそうなものであるが、この夢想はなかなか実現しない。国家のなかでトップに立ちたい、権力を握りたいと云う欲望があるかぎり終わらない。

 私は、国家のなかで権力者になろうとしたり、会社経営して権力を握りたい欲望に勝てない人々が、権力を持たなくてもいい人々を傷つけているのだと思う。権力を握りたい、権力を行使したいと思う心は正常ではないと考える。すると、正常でない者たちが行う政治、経済は正常であるはずがない。だから、地球に住む権力を持たなくてもいい人々は幸福にはなれないわけである。

 われわれは、権力を持たなくともよいと考える者たちは、権力志向者たちに対して権力を持つことの愚かさを教えるしかない。出来そうもないが説得するしかない。併し、権力志向者は聞く耳を持たないだろう。われわれが世界平和を手にするには、権力志向者たちを、権力に取憑かれている病者として扱い、治療の一環として拘束する以外にないと思う。権力は結局、暴力と同義であり、われわれも、権力を欲していない者たちも結局、権力を行使するときがきて、権力志向者たちと同様の心持ちになってしまうのかもしれない。