自由について③

 午前11時53分、晴天。気温35度。今日も、暑い。テレビをつけると、全国戦没者慰霊祭がおこなわれている。

 戦争は自由を奪う。「戦争は金持ちがおこす」と以前書いたことがあったが、併し、戦争は金持ちになろうとすることでも起きると思う。貧乏人でも金持ちを志望した時点で戦争をする者たちの側にまわることになる。

 侵略行為はそのまま戦争行為である。私は、以前「土地は誰の物なのか判らない」と書いたが、このことが根本になって全世界に争いが起きているのだと思う。では、争いを回避するには、どうするかである。住みやすい、肥沃な土地を譲り合えるのか、である。土地には名前がついていない。誰の物でもないものを、誰かの物とするために付けている。

 国と云うものが無くなれば、国家間の争いは無くなる。日本では、明治時代以前は藩と云う国があり、他藩を他国として互いに反目していた部分があった。併し、明治時代以降は藩から変わった県で、県同士は争うことは無くなった。

 国と云う考え方が無くなれば戦争は無くなると思いたい。勿論、世界中で、生活に不満を持つ者たちにより争いは絶えないと思う。山賊が出て、海賊が出るだろう。併し、それらは警察が取り締まればいいわけだ。全世界で戦争の放棄を宣言する。もっとも、国家がひとつになれば戦争の概念は消失する。戦争で人を殺して合法と云うことも無くなる。殺人は、ただの犯罪である。殺人を犯す山賊、海賊などの犯罪者にたいしては刑法を適用すればいい。

 全世界で武器の管理を徹底すれば争いごとは減ってゆくと思う。50年掛かるか100年掛かるか判らないが、争いは減少するだろう。