新型コロナ不安症

 午前0時半まえ、曇天。気温23度ほど。あれだけの雨降りが治まって、一転して熱中症に注意がいるようになった。

 毎度、コロナ禍の話で、われながらうんざりするが、併し、無視もできない。ネットのなかの記事に日本のコロナ禍対策にたいして異を唱える者がいるからだ。

 ネットの記事は言う、「日本のコロナ対策は過剰である。もっと、経済を回したほうがよい。自動車事故死者が出るからと言って、自動車を止めはしないだろう」と。たしかに自殺者でるからと言って、社会活動を停止はしない。併し、今回のコロナ禍は、まだ不確定な要素が多く、はっきり判らないことが多い。それでいながら欧米のコロナ禍対応を真似て乱暴に当てはめようとするのは如何なものであろうか。

 日本には、日本のコロナ禍対応があって然るべきだと思う。それは、欧米人の感覚とはちがったナイーブもので、日本人の持つ特性である。なんでもかんでも欧米に倣っても、結局無理が出るものである。日本人には、スーツは似合わないし、握手も抱擁も似合わない。面と向かって争うことも、ものを言うこともできない。神経質であり、楽天的ではない。

 コロナ禍の第二波が来ている。今回の波の山は大きい。今のところ重症者数は少ないが、重症者は感染者の数字が出てから二週間後に出てくるようだ。これはタイムラグらしい。軽症者が重症化するまでの時間である。今の感染者数1万2000人強の山を見ると楽観はできない。二割が重症化すると、2400人が重症化してしまう。併し、欧米風経営者は経済を回せと言う。

 私は、欧米風の対応では日本は立ちゆかないと思う。それは、このコロナ禍だけに限らず、すべての事柄において、もう一度、日本の欧米化について考え直す時が来ているのではと思っている。