コロナ禍を生きる

 午後9時半すぎ、曇天。本日の最高気温34度。今は29度ほど。また、連日の猛暑になってきた。あと少しで9月であるが、暑い日が続く。

 新型コロナに罹患して、自宅療養している人が日本全国で11万人を超えた。そして、入院したくても出来ない人、病院のベッドがあくのを待っている人が3万2000余名いるらしい。軽症の人がほとんどだと思うが、入院を待っているうちに症状が重くなり、それでも、入院できずに、中等症になり、重症化してしまう。・・・重症になれば入院できるのであろうか。ベッドはあいているのだろうか。他人事ではない。罹患しないとは言い切れない状況になってしまっている。

 もう、いつ死んでもおかしくない状況だと思う。2週間後には、骨になっている。そんなことは想像したくないが、骨にならずとも、肺などに障害を持って生きなければならない。

 自分だけは大丈夫、罹患しても重症化はしないだろうと思っても、案外、重症化したり、家族や友人、知人が重症化するかもしれない。インド株は恐ろしい感染力である。イギリス株やその前の株のときのようにはゆかない。感染しない、感染させない努力が、いま、ひとり一人に必要とされている。・・・我慢する。たくさんの人たちと飲みに行かない。食事もしない。それが、必要である。人と接触機会を減らして感染を減らしてゆく。それしか無い。

 はっきり言って、オリンピックやパラリンピックを開催して人々の不満の矛先をかわそうとするべきではない。姑息な手段は政治闘争の場面だけにして、コロナ禍にたいする政治判断を毅然とするべきである。