間違っている !?

 3月3日、午後11時半すぎ、曇天。気温6~16度。暖かいが、不気味な一日でもある。日中の暖かい空気も、今は新コロナウイルスに汚染されている気がする。神経過敏になっているきらいはあるが、日々刻々と状況が悪くなっていると想像すると、やはり気持ちがわるい。

 用事があって、南阿佐ヶ谷駅で電車を見送っていたが、満員電車でなくとも、やはり乗客は少なくなく、人と人との距離が気になった。ほとんどの人がマスクをつけてるが、それでも準空気感染のような状況では、いつ自分が感染してもおかしくない。密閉空間は命取りである。電車通勤、バス通勤、タクシー乗車は間違っていると、なぜ言えないのか。命と、お金を天秤にかけて、それらに乗らない者たちが天秤をかけ続けて、命を賭けて働く者たちは何を得るのだろうか。ばからしい。手を止めて、あたりを見回してみるがいいだろう。金満家の富裕層は、とっくに汚染地帯から脱出して、高見の見物をしているにちがいない。戦争で死ぬのはいつも貧乏人ばかりである。今度の戦争はウイルス戦争である。または手の込んだ世代間闘争かもしれない。

 都内の大病院の看護師たちは、満員電車で通勤していると言っていた。すべてを仕方がない、仕方がないで済ませて、思考停止してはいけないだろう。冷静に、理論的に判断をするべきである。看護師たちは電車通勤をするべきではないと思う。看護師は患者に接しているのである。看護師自身が感染して、患者に感染させてはプロとは言えない。基本的なことである。忙しさに負けて、考えることをやめてはいけない。

 以前、今は戦時中と書いたが、まさに今、戦時中ならではの表現が頻出している。京都丹波の田舎に大阪から子供たちが「疎開」した。また、フランスではマスクをすべて国家が「徴用」する、等である。日本でも、マスクは政府が買い上げて北海道など感染拡大している地方に「配給」すると言う。もう、今は非常時であるので、日本政府は緊急事態宣言をして、新たな法律を制定して、国民を誘導すべきである。そうしないと、暇だ、つまらないと言って街の雑踏を遊び歩く学生がでる。また、認知症ぎみの老人がパチンコ屋にでかける。コンサートや芝居小屋で興行を続けようとする者がでる。いつの時代も不見識な者は一定数いるので、これらの者を良い方向に誘導しなくてはならないだろう。そして、出張、営業などの企業活動を停止しないと感染拡大を防止することはできない。日本は全国に交通網が発達しているので、それが血管の役割をしてウイルスをとごまでも運んで行ってしまう。今は、国民ひとり一人が自身を犠牲にして、耐えて乗り切るときである。お金の無い者には政府が適宜お金を分配して、また食糧、生活物資を配給管理して乗り切るべきである。