酷暑の合間に

 午後4時半前、曇天。気温摂氏30度。酷暑の合間に出掛けている。自転車に乗り、阿佐ヶ谷駅前の西友へ行き、買い出しをする。昨夜、マキコが加齢による不注意で茶碗を割ったので、茶碗を買った。薄くて軽い磁器の茶碗である。300円(税抜)であった。その他、野菜ジュース5本、パスタソースのボンゴレビアンコ(蒼の洞窟)5箱、小川コーヒー2袋などを買った。買物も、あらかじめ決まった物を買うだけの作業は、ただの肉体労働にすぎず、つまらない。創意もなく、発見もない。汗だけ出る。
 書棚からスタジオ・ボイスを取り出して読む。1992年2月号とあるので、もう26年は経っている。この雑誌は、自分で阿佐ヶ谷の書店「書楽」で買ったので、古書を読むと云うよりは26年前の時間の続きで読んでいる気がしている。この雑誌では、ナンシー関の文章がおもしろい。併し、もうナンシー関は鬼籍に入ってこの世にはいない。鬼籍と云えば、さくらももこ氏が8月15日に逝去したとネットのニュースで知った。氏はわたしよりも一学年若く、53歳歿であった。・・・また根本敬さんの文章では、氏の幼年時代の苦労をさっき知った。気管支喘息で苦しみ、病気で学校へ行けずに義務教育は丸一年間は行っていないとあった。病弱体質が作家精神を養ったとある。なるほど、と思わぬでもない。
 スタジオ・ボイスの特集記事は「まだ死ねずにいる文学のために」である。今の時代では思いつかない特集である。いまでは、もう文学と云うことは消滅していて、文学賞は機能しておらず、また期待もされていない。活字ばなれは進み、活字のかわりにスマホであったりネットの文字を読むようになっている。