大晦日の前日

 午後7時半まえ、曇天。気温0~14度。右籾の天候は、大晦日、元旦にむかって次第に崩れてゆくらしい。

 今日の昼下がりは、庭の芝刈りをした。先日から芝刈りは徐々にしていたが、刈り残しの芝をすべて刈った。どうにか気分は大晦日を迎えるに相応しい心持ちになった。

 去年は何事もなかった。一昨年も何事もなかった。そして、今年も特段の変化はない。今年の夏の猛暑に、自動車学校へ行き、原付免許を取得したぐらいで、他には何もない。しかも免許は取ったが原付バイクは所有していない。今はまだ、原付バイクが必要な状況にないから所有していないとも言えたが、結局、原付バイクにしろ自動車にしろ、積極的に使用したいと思わないところがあるらしい。

 私は偏屈なのかもしれない。便利を便利と思わず、何か他人に操られているような、恣意的に動かされているような妄想が先にくる。原付バイクの免許を取得するのに、大層勉強をしたが、その過程で、道路が人々にとって有益に作られていないのではと云う疑念を持つに至った。

 道路は、一度自動車で走り出すと、もうどこかの駐車場に行き着くまで停車することはできない。わき目もふらずに駐車場に行かねばならない。人々は自動車でドライブに行くと言う。併し、運転手は、運転中は景色を楽しむことはできず、安全運転をせねばならない。原付バイクも同様である。道路で停車したとしても、5分間まで停車できるが、その後は違反になる。第一、道路を疾走する車をよこにして安全に停車することはできない。やはり、自動車と同様に駐車場まで行く以外にない。

 道路は規制だらけである。道路は楽しくない。もっとも、道路は経済活動を潤滑にするためにあるだけで、人々が楽しむためには出来ていない。故に私は原付バイクの所有に逡巡している。道路に出ることになると、ありとあらゆる場面で制約を受け、嫌な思いをするにちがいない。その点、今のところは自転車ならば嫌な思いもそれほど感じていない。たしかに、自転車が走る歩道には段差があり、走行に難儀するが、自動車、原付バイクに比べて自由度が高い。

 また、つまらないことを書いた。来年は、つまらないことを書くことを控えたい。