「「羅生門」制作状況②

 午後8時半頃、曇天。本日の東京の気温摂氏19度から10度。午前6時頃の福島沖の地震には驚いた。午前5時前に就寝していたが、地震に起こされた形である。津波警報が出て、福島原発や茨城、宮城の原発のことが気になって寝ることができず、午前8時過ぎまで起きていた。特に、テレビのアナウンサーの警戒を呼び掛ける声が恐怖を必要以上に煽りたてる感じで、なにか違うことが起きている気がした。たとえば怪獣が攻めてくるような有り得ない感覚である。
 午後3時頃、起床。目覚めがわるい。早速テレビをつけて状況を確認する。寝て起きて、世界が変わっていたらたいへんである。自分だけが取り残されていないかの確認である。大丈夫であった。世界は変わりなかった。
 木版漫画「羅生門」の製版は順調である。併し、細かい彫版を長時間していると、もっと大きい版で、せいせいと彫ってみたい欲求が湧いてくる。

▲前回に比べて、あまり進んでいないが、これでも6時間以上は彫っている。
 話は変わって、ネットの記事で気になったものがあったので取り上げたいと思う。それは「2020年以降の経済財政構想小委員会」である。自民党小泉進次郎氏ら5人が集まって議論しているが、議論の内容は、年寄よりも子供達へと云うことで、お金の使い方を見直すことらしい。社会保障について考え直すのであるが、私には、彼らの考える未来には、年金制度のない、本当に必要な人にたいする保障のあり方があるように思えてならない。これは現代の競争社会において相反したありようかもしれないが、弱者を切り捨てない社会の出現を意味している。もし実現すれば素晴らしいことだろう。それには大多数を占めている高齢者世代の同意を得ないといけないが、年金廃止となれば混乱と抵抗は並大抵ではない。それには、今の普通選挙制限選挙に変えて、選挙権を責任のあるものに変えなくてはならないと思う。適当な気持ちや、いい加減な知識、判断力で政治に参加しては社会は混乱するばかりである。たとえば自動車の運転には免許の取得が必要なので、それには皆、自動車教習所に行き知識を身につけ訓練を受ける。選挙にしても同様のことが言えるのに、何故か知識を身につけず訓練せずに選挙をしている。これでは無免許で道路を走るようなもので、うまくゆく筈がない。社会変革を望むのであるならば、まず選挙を制限選挙にして、試験に受かった者に選挙権を与えるようにしなくてはならないと思うが、どうであろうか。
 私が夢想する社会は、年金制度のない、年金を必要としない社会である。完全に社会保障の充実した社会である。街には、無料食堂があり、無料の病院がある。そして、無料の宿泊所や無料のよろず相談所がある。そんな夢のような相互扶助の、善意の社会は出現しないものかと思う。