時事放談11月号

 午后2時まえ、曇天。本日の、土浦市の最高気温18度。右籾は、暖かいような、寒いような微妙な天候である。

 近頃の若者は、流行に左右されないそうである。宣伝や広告に惑わされることなく、自分の価値観で行動してゆくらしい。それは、収入がふんだんにないからとも言えそうであるが、無駄なものは買えないのは、当たりまえと言えば、当たりまえである。自動車を買わない、家を買わない、家族を持たない、恋人をつくらない等は、好んでのこととも思えないが、そう云う時世であるかもしれない。

 私は、昭和世代であるから、車を買え、家を買え、家庭をつくれ、と云う宣伝広告に晒されてきた。併し、どれもこれも逆らって、今日に至っているが、結局、家庭はつくり、家は買った。勿論、宣伝広告が喧しく言ったように無理したわけではない。無理がないように、等身大の家を買い、家庭をつくった。今の若者たちにくらべて、私たちの時代は幸せであったと思う。青春時代はバブル景気に湧いていたし、苦労なく青春を謳歌できた。

 近頃の若者は、流行に左右されていないように思えるが、世の中のベースになっている携帯電話に関しては、なんの考察もなく受け入れている。これは、きっと若者たちが子供時代から携帯電話がある生活をしていたから、考察することなく受け入れているのだろうと思えるが、ここが問題であると思っている。

 そもそも携帯電話は、ビジネスで、相当忙しいビスネスマンの道具として機能していた。一般の人々には無縁の道具で、国民すべてが所有して、それを使うとは思っていなかった。携帯電話が普及したのは、携帯電話のバッテリーが小型化できたからであったが、電話会社が極端な利益を追求した結果、国民すべてが携帯電話教とで云える精神病に罹ってしまった。この精神病に関しては、まだ誰も告発していないので、世界初だと思えるが、同様の意見の仁と共闘したい。

 はっきり言って、携帯電話は害毒である。四六時中、他人と繋がり、話しをし、考えるよりも話しをするだけの生活は不健全である。人間は、男も女も、子供も、すべてが孤独のなかに居て、そして、自身を磨いてゆく以外にないものと思う。携帯電話は依頼心を育て、自立心を損ない、人々を腑抜けにしてしまう。

 大資本家たちの策謀に翻弄されるべきではない。資本家は人間を見ていない。金だけを見ている。そして、良心を持っていない。資本家は、資本家ゆえに人間であることを捨て、自ら守銭奴と化し、人々を苦しめるだけの存在になっている。

 私たちは、資本家的思考から決別して、スローライフを営むべきである。まずは、急がないこと、これが肝心である。携帯電話で、即座に仕事をおこない、決済をするべきではない。不便を身に寄せて、暮らす。これ以外に幸せを手に入れる方法はないと考える。