未来について考える2

 午前10時半まえ、晴天。気温25度。わずかに風も吹いている。すごしやすい昼まえである。

 「未来について考える」のつづきである。兎に角、ウクライナ対ロシアの戦争を止めるのが先決である。武器を消費して戦時特需をあてにする解決方法は良くないとして、戦争を否定する。今更であるが、ここでもう一度、善と悪について議論をするべきである。どこかで議論の場を、国連でない実効性のある場を設けることはできないものであろうか。

 併し、善と悪と言っても、ウクライナは善、ロシアは悪と決めることはできない。ウクライナも昔はロシアであった。凶悪のロシアに弱悪のウクライナが侵略されている構図かもしれない。併し、今ではウクライナは西側諸国の一員であることにまちがいはない。親分を自任しているロシアは、ウクライナを思い通りできる子分ぐらいと思っているのかもしれない。

 ロシアに対して西側諸国は警戒しなければいけない。ロシアから見る世界は、西側諸国から見る世界とは別の世界なのかもしれない。少なくともプーチン政権のロシアでは、未だに、ピョートル大帝やナポレオン、ヒトラーが脳内で実在していて、それらの者たちの航跡をなぞろうとしている。

 核兵器のない世界をめざす、というスローガンは今の西側諸国の世界では希望ではなくて、喫緊の課題として差し迫っている気がする。戦争中にも関わらず西側諸国は、もうウクライナの復興について考えはじめている。これは、地球が無事に残って、ウクライナ国が存続する前提に復興計画を立案しているようであるが、ひとつには全世界での核戦争勃発の恐怖を覆い隠すためと、ロシアにも終戦後の世界を認識させるためのものである気もする。

 実際のところ、ウクライナ対ロシア戦争はどういう決着であるのか。両国の実力からいうとロシアに軍配があり、結局ウクライナは敗北する。善悪のことを言うとロシアは悪であるが、ウクライナを焦土にするウクライナ人も善とは言い難い。大切なことはウクライナ人もロシア人も死なずに生き残ることである。それについて思案したほうがいい。戦争をして殺し合うぐらいなら個々が密談をして、我を折って、そして、したたかに時期を待つべきである。プーチンの寿命も、あと30年はないと思われる。どう長くとも40年後には生きていない。もしかすると、もっと短いかもしれない。それまで我慢してウクライナ人、ロシア人は生き延びるべきである。