国葬について

 午後1時半すぎ、曇天。気温27度。湿気が多い。この頃は、よく風邪をひく、今も体調がわるい。もしかするとコロナかもしれないが、たぶん違うと思う。このところ外出せずに家のなかに籠っているから、コロナに罹る道理はない。だから、よく夏風邪をひいていることになる。

 安倍晋三元首相の国葬実施の賛否が喧しい。世論は、過半数が実施反対であるが、自民党は実施をして箔をつけたがっている。

 だいたい、安倍晋三氏には生前中に数々の疑惑があり、それがまったく解消されないなかで国葬どころか従一位大勲位菊花大綬章としたのは如何なものかと思う。これでは従一位も勲章も、有難みのない呪文、バッチようで、他の叙勲者たちに失礼だと思う。官位も勲章も地に落としてはいけないはずである。

 安倍氏の葬儀は、国葬とせずに自民党葬でいいのではないだろうか。中曽根康弘元首相も自民党葬であったので、安倍氏の存在価値では、どう頑張っても自民党葬がせいぜいのところで、それが世論が国葬を反対している理由であると思う。今の、令和の時代に、国葬とするには、天皇陛下上皇陛下の崩御に際して執り行うぐらいで、戦前ではあるまいに市民ではあり得ないと思う。世論は、安倍氏国葬実施を不敬、もしくは不遜と捉えているのだと思う。吉田茂元首相の国葬も、国葬実施を否定する世論が高まっていたことを考えると、安倍氏では、ぜんぜん説得力がなく、自民党は権力を私物化していると言われても仕方がない。

 そして、自民党を解体して、まっとうな政治を取り戻すには選挙制度の見直しが不可欠であり、世襲させない意識が国民に必要である。