8.20渋谷無差別殺人未遂事件の衝撃

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 8月20日の夜に、東京都渋谷区の京王井の頭線神泉駅付近の路上で、埼玉県戸田市在住の少女(15歳)に、少女と面識のない母親(53歳)と娘(19歳)が包丁で切りつけられて重症を負った。警察の取り調べで少女は、面識のない母娘を殺人の練習台にしようと切りつけたと供述している。少女は、自分の母親と弟を殺害するつもりで、無関係の、路上を歩いていた母娘を刺したわけである。少女の犯行動機は、死刑になりたかった、と言っているが、自分の母親と弟を殺すことと、無関係の母娘を殺害しようとすることに関係性を見出すことは出来にくい。少女の思考が狂っていると断定して捨て置けばよい気もするが、なにか気持ちのわるい感じが残る。まだ、警察の取り調べの途中だろうが、少女の心の闇を、こちら側の人々も無理やり共有させられて不快である。少女は、自身の死刑を望んでいるが15歳では死刑にはならないだろう。何人殺そうが死刑にはならないとしたら、社会として、どのように少女と向き合ってゆけばよいのか判らないだろう。

   少女は、ある一定期間施設に収容され矯正を受けるであろうが、それで殺人願望がなくなるとは思えない。強固に殺人願望があり、実際に、思考の外に出て他人を刺したのである。他人を刺して殺そうとしたのは自分の母親と弟を殺すためであると供述しているが、ほんとうは、ただ人を殺してみたいと云う殺人願望があるだけで、母親と弟殺害願望の供述はあてにならない。

 恐ろしいのは、少女の存在が法律の壁で隠蔽され、事件の一端のみが報道されて過ぎ去ってゆくことである。少女の今の状態が気になるが、報道はなく、少女の名前も、顔も判らない。被害者の母娘は、加害者少女の顔は見ているが、名前は知らされているのだろうか。少女から謝罪の言葉はあったのだろうか。または、少女の保護者からの謝罪はあったのだろうか。被害者の母娘は事件に遭ってトラウマになりそうだが、事件を聞いた私もトラウマである。この少女Aは、彼女ひとりだけではなく、彼女の後にあらたな加害者少女がひそんでいる気がする。社会として、どのように少女たちと向き合ってゆけばよいのか判らない。有効な方策はない。