コロナ禍のオリンピック

 午后8時まえ、曇天。気温27度ほど。先程、右籾は驟雨に見舞われた。天気予報図によると局地的な降雨であったようだ。

 もう少しで、東京オリンピックが開催される。無観客の競技場での開催は異様である。異様なことをしている菅自民党政権であることを明記すべきである。どんなに、つくろってみても、コロナ禍で無謀に開催した記録は消えない。そして、これから来る爆発的なコロナの感染拡大の波に身構えなくてはならない。

 開催式は始まった。声援のない競技場は悲しい。心に響く音はなく、テレビから流れる音響が「いじめ」をした加害者が制作したものであると思いながら聞くことは、心に良いことではない。画面では、オリンピックの華やかさはなく、現代舞踊のような、モダンダンスが展開されている。

 誰のための、何のための、オリンピックであろうか?天皇陛下が映っている。バッハ会長が映っている。57年まえの歓喜とはちがい、淋しい風景が映っている。広すぎる会場に、少なすぎる人たち、日本の国旗が会場に入場し、そして、掲揚される。喜びの祭典ではなく、悲しみの祭典の様相である。静かすぎる。会場では、上級国民だけが見守り、会場の椅子には誰もいない。日本が滅んでしまったような錯覚を起こす。見ていて胸が熱くなる。一人の歌手による国家斉唱で、国旗がポールの上にあがっていった。

 東京オリンピックが憎いわけではない。われわれは菅政権が憎いのである。東京オリンピックの高揚感を政治利用する菅政権が憎いのである。われわれは心に刻まなくてはならない。コロナ禍のなかで、無謀に強行開催をした自民党政権を恨まなくてはならない。われわれは忘れてはならないだろう。われわれが愛していたオリンピックを憎しみの、嫌悪の対象に貶めてしまったIOCのメンバーとJOCのメンバーのことを。そして、今のIOCを解体して、新たな、利権まみれでないIOCをつくり、新生しなくてはならないだろう。