東京パラリンピック開催

 午后6時半すぎ、曇天。本日の最高気温31度。31度でも、暑いことは、暑い。物置小屋のなかは、夏場は高温になり、小屋のなかに設置した電気クーラーだけでは冷えないので、屋根に銀色シートを貼って断熱につとめている。

 東京パラリンピックが開催された。日本では、新型コロナ感染者が爆発的に増えて、パラリンピック開催どころではないはずであるが、不思議と、日本政府は現状に動じることがなく、淡々とパラリンピックを開催している。もう、何が何だか判らなくなっている。出歩いていいのか、わるいのか、判らない。パラリンピック開催は、今の現状では、まちがったサインを送ることになっている。オリンピックのときも、まちがっていたが、今は、もっと間違っている。

 新型コロナに罹患して、病院にも行けずに、死んでゆくひとたちが増えている。今は、そう云う状況である。信じられないが、パラリンピックをやりながら、むざむざ死人が出ているのである。菅政権の「自助」の押し付けが「死」を招いている。無能な政権が「死者」をつくりだしているのである。

 「抗体カクテル療法」と云う「飴」はあるが、病院に行けないのなら意味はない。自宅待機を申し付けられ、結局、中等症になり、重症化してゆく。これは、政府の不手際を演出した余剰国民の「処分方法」ではないのか。

 今では、テレビで、首相の顔を見て、声を聞いたりすると嫌な気持ちになり、「人間」を感じずに「死神」を感じるのは、私だけではないのではないだろうか。首相の言葉には、暖かい感情が感じられず、ただ淡々と、面倒くさそうに、人間を処分してゆく地獄の獄卒のようである。

 仲間のネットワークを持っているネット民はなにをしているのだろうか。今こそ、立ち上がるときである。ネットのなかに日本の政権をつくり、日本を動かせばいいのである。過半数を超える人々がイエスと言えば、事が進むのである。それをやらない手はない。すぐにでも、始められるだろう。