三島滞留

 午前9時すぎ、晴天。気温1〜13度。三島の冬は寒い。東京とは、ちがった寒さがある。家のまわりに殆んど建物がなく、田圃ばかりで風が吹きぬけてゆくからだろうか。寒いが空気は澄んで、富士山がよく見える。
 三島に逗留して6日、明日には一週間になる。3日に、父が突如入院して、私は4日に病院へ行って入院の手配等を兄と共にしてきたが、併し、今回の入院はほんとうに必要なのか疑わしいところがある。父の申告は、家のなかで転んで腰やわき腹を打って痛く、故に入院するしかない、と云うことであったが外科的には検査結果に異状はなく、ただ単に入院がしたいと云う妄動にすぎなかったと言える。しかもわるいことに、入院6日目には自分が何故入院しているのか忘れて判らなくなり、転倒防止のためのベッドの拘束帯を虐待の道具と勘違いして激昂し看護士に迷惑をかけ、また私や兄は父に夜の8時すぎに呼び出されてたいへん困惑した。父は、しきりに退院すると言い張っていたが、その日と翌日は輸血治療をする予定になっていて帰宅しても12時間後には病院にいなければならず、帰っても徒に忙しくなるばかりである。結局、延々1時間以上続けた私の説得は、父には聞き入れられず、兄のわずかな説得で、すんなり父は病院に残ることになった。
 旧時代の父の感覚は、やはり長男第一主義で、次男は予備、スペアーぐらいにしか思っていないところがある。本音は意識が混濁したときに出るらしい。私は父にたいして有効ではない。軽んじられて、ここまで来たが、やはり実際にいろいろと処置をするときは困る。父は、元気なとき、若いときから独善的に勝手気儘で、家のなかでは強権的に振舞ってきたが、結果的にまちがいや失敗が多く、今それらを私が尻拭いするはめになっている。私のことを軽んじて、私に相談せずに重要な決定をしてきた結果である。長男を私の了解なしに婿養子に出し、しかも兄には私の了解を取ったと嘘をついたと、最近になって父から聞いた。父は、兄に捨てられたと、私には幾度となく言うが、兄にたいしては口をとざしている。父は、生涯に3度捨てられたと言っていた。実の母親に2度捨てられ、長男に捨てられたと言う。併し、父は誤解していると思う。いや、甘えているのかもしれない。人は人を捨て、人と結びつき、そして、また別れてゆく。人間の営みはそれだけだろう。他人に頼っても詮無いことである。心のやわらかい部分は他人まかせにはできない。そこのところが判らないと、いつまで経っても充足はできない。