再度、三島ゆき

 午後6時前、曇天。気温摂氏33度。日中は、暑くて一歩も外出せず、陽が落ちる頃になって、ようやく動きだす。
 8月になってから、また三島ゆきである。今度は、物置小屋の解体撤去、自動車の廃車手続き、介護認定のための面談等がある。介護認定はともかくとして、他の件は、本人にも出来たはずであるので、実際にあれこれ軀をうごかしてみると、やはり釈然としない。なんだか、めんどくさい事を押しつけられているようにしか感じられない。
 世の中には、良い親、ふつうの親、悪い親がいると思うが、私のところは悪い親に該当するようだ。5段階評価で言うと、2である。10段階で評価すると、客観的には3ぐらいはありそうであるが、感覚的には2以下としたい。
 子供のころは、自分の家族(親)は普通だと思っていた。併し、大人になって、まわりをよく見渡してみると、どうも普通ではないことが判ってきた。特に父親は、普通ではなかった。実母に2回捨てられた意識を持ち、それがトラウマになって人格形成をいびつなものにしていた。そして、私の母親と母方の祖母を取り巻く状況が異常であった。私の子供時代の、三島の家庭は暗かった。常に家庭内に暗い憤懣が充満していた。それは父親の行き場のない憤懣であり、祖母の悲哀であり、母親の萎縮であった。子供の私と兄は、父親の独善的、強権的である教育と云う名の暴力につねに怯えていた。今の時代で言うところのDVにちかいものがあったと思う。父親は、生来の癇癪持ちであった。それは、あきれることに強弱はあるにしても87歳のこんにちまでかわらない。若いころから我儘であった。好きなことしかしない。粗雑である。面倒なことは避けたい。到頭、老耄して、呆け始め、おさえていた地金が出た恰好である。
 私は、明日の8月から、また三島の実家に行って片付けをしなければならない。好きなことしかせず、面倒なことを避けた老人のために炎天下うろうろするのだろう。

 昔の荷物を整理していたら、懐かしい物が出てきたので紹介したい。これは、三島市立南小学校の門前にあった「たきなみぶんぐてん」のサービス券1円である。文房具を買うごとに券をもらっていたが、10円で一枚もらったか、100円で一枚もらったのか、定かでない。

▲子供向けに、ひらがな多用がおもしろい。
 当時、このサービス券の束で買物をしている人を店内で見かけて、この券が紙幣に見えたことを思い出した。