続続・介護生活

 午後5時すぎ、雨天。気温14度〜16度。終日雨が降っている。もう何日も、続けて降っている。まだまだ降る気でいるらしい。いい加減でやめてもらいたいが、そうもいかないらしい。天の雨袋が破けてしまっている。
 介護生活から未だ開放されず、ひと月ほどもぐずぐずと三島に長逗留である。併し、介護の段取りと家のなかの片付けは着々と進んでいる。介護のほうは、ヘルパーさんや訪問看護士の方々のお世話になり、診療は、三島共立病院の往診と云うことになった。そして、廃車屋の手伝いで、心配やわずらしさもなく無料で車を処分することができ、ほっとしている。あとは行政の粗大ゴミの回収である。これがうまくゆくと、随分と将来設計がちがってくる。なんとか成功させたい。それから、雨降りに祟られて外壁の補修作業ができずにいる。あまり暑いと作業が中断し、雨降りではお手上げである。
 今は、頭の中は、父の介護と家の中の片付けに占領されている。自分を見失ってやっている。自分の健康や経済的なこと、自分の仕事を放擲している。しないといけないらしい。18日には、一旦東京に帰って、そして、また28日は、父の往診日であるので、家族の者として立ち会わなければならない。これは義務にちかいものらしい。併し、私ひとりだけで背負うには余りにも負担が大きい。併し、誰も、助けてくれない。
 私は孤独である。孤立しているのかもしれない。併し、父の孤独は深くて、暗い。絶望的である。私は、50代の若年ゆえに、老人の孤独、絶望を知る由はない。たぶん私が想像しているもの以上に暗澹としているのだろう。併し、また老耄の進んだ心には案外晴れやかな視界が開けているのかもしれない。どちらにしても、私には、わからない。せめて、まだ父の食欲のあるうちに、好きなだけ、好きなものを食べて貰いたいと思う。
 私と父は、そりが合わない。気持ちが、かみ合わないことが多い。話を長くすると諍いが起きる。随分と不愉快な思いもする。私は、やはり父が好きではない。父も、私にたいして同様の感じを抱いていると思う。併し、約19年間生活を一緒にしてきた者として思うところはある。まだ父が生きているうちに、好きなだけ、好きなものを食べて貰いたいと思う。