8月15日までに

 午後11時すぎ、晴天。今日の日中は、そよ風もあり割りあい涼しい感じであった。午後3時頃、近所を散歩して図書館へ寄り、ついでにスーパーマーケットの文化堂でトマトだけを買おうと立ち寄ると、いろいろと商品が目について余計に買ってしまった。優雅な散歩のは筈であったが、ただの買い物になってしまった。
 8月は毎年、気が重くなる。まず8月6日と8月9日である。広島と長崎の原爆被災の日であるが、そして、今年は8月12日が新たに加わった気がした。テレビ番組で日航123便の墜落事故の再現を放送していたが、そのなかで事故原因の圧力隔壁の修理個所に顕かな修理ミスがあり、それが事故の原因になったと言うものだった。飛行機はアメリカ製であり、修理をした工員もアメリカ人ということで、事故当時、日本の警察がアメリカへ行き、捜査をしようとしたが、捜査はできず門前払いであったそうだ。事故に遭った圧力隔壁の残骸は今も展示されているのだろう。修理箇所を見れば、修理ミスは判るはずであるが、520名の命を奪いながら修理ミスは糾弾されることがなく37年も経過している。(修理は墜落の7年前である)私の目から見て、修理個所は素人目にも考えられないミスであり、なにやらミス以外のものを邪推してしまう。日本人の命を乗せる飛行機は、日本人が造り、日本人が飛ばし、日本人が修理したいと思うが、そんな当たり前と思えることが敗戦によって出来ていない。それから、沖縄も日本の領土であり、国土に違いはないので、日本を、日本の手に取り戻してゆきたいと思うが、毎年空念仏のように、原爆はいやだ、戦争は悲惨だ、だけでは日本を取り戻すことは出来ないだろう。黒船が来て、無理な条約を結んで、それに苦労して、今また同じ轍を踏んでいる気がする。ほんとうの敵は誰か、なにかを理解しないといけない。ここまで書いて、若干好戦的な気もするが、併し本心はまったくの非戦とでも云うものである。武力に拠らない国家経営。夢のようだが、それを実現してほしいと願う。