続・文章修業の日々

 午前2時半、曇天。気がつくと夜型生活になっている。根気よく文章修業を続けているが、書けば書くほど文章が薄くなってゆくような気がする。言葉と云うものは、人の軀のなかに無尽蔵にあるわけではなくて、ある程度、書き手に思いが溜まってこないと書けるものではない。そう云う性質のもので、話でも永遠に話していられるものでもない。話疲れと一緒で、私の場合は、書き疲れである。5日間ほど頓挫して、今日は六枚半程、昨日は三枚半程書いた。少しずつ書けるようになってきた。
 話しはガラリと変わって、出版の取次店が倒産したそうで、出版業界はたいへんである。私にとっても無関係の話ではなく固唾を呑んで見守っている。どうなるのであろうか。とても心配である。みんな、本を買わなくなって携帯電話にお金を使うようになってしまって、これも時代の流れと言ってしまえば、それっきりであるが、実に勿体ない感じである。私もたしかに貧乏続きで新刊本をポンと1500円とか1800円とか払って買うことがめっきり無くなってきたが、他の、高給取りの、年収200万円以上の方々にはバンバン新刊で書籍を買って頂きたいと思う。文化を無理にでも、意地でも支えてゆくんだという気概がないと、いずれは日本に文化は無くなり、気がつくと、携帯片手に喋って歩いている人たちだけになってしまう。携帯電話は顕かに、一種の麻薬性があるので、ある程度は規制してゆかないと、今に何も考えずに喋ってすっきりするだけの国になってゆくでしょう。たしかに小難しい頭の痛くなるような理屈や能書きはいらないと、言われれば、その通りであるが、この国の人たちは何処へ向って歩いているのであろうか。