「藤宮史日記 2011.6.5~10.27」を掲載

 午後0時半まえ、晴天。本日の右籾の最高気温33度。室内の台所でも32度ほどもある。暑すぎて、じっとしていられない。

 このところ、連日カクヨムサイトに文章を掲載している。おもに短句集「焦眉の風」の解説文を書いているが、過去に書いた文章では文体、文意に難があり、ほとんど新たに書き直している。そして、今度は過去の日記帳を引っ張り出してきて「藤宮史日記 2011.6.5~10.27」との銘で書いている。これは日記なので書き直しはせずに、そのまま載せている。誤字も文字の上にママをつけて載せている。

  この日記は、2011年であるので、東日本大震災の年のもので、6月5日からであるから、地震に慌ててから三カ月ほどしか経っていない。私たちは地震直後の約20日間、東京を離れて伊豆の三島に猫と共に避難していた。そして、東京に戻って生活再建をしなければならなかった。このときも貯金はなかったので、サラ金からの借り入れ金で生活をしていたと思う。併し、サラ金からも借り入れが出来なくなり、政府主導の職業訓練と銘を打っていたパソコン教室に7月下旬から通い出した。この訓練には給付金が出て、ひと月10万円であった。三カ月通ったので、30万円になった。

 今も苦しい生活であるが、あのときは日本中が苦しかった。そして、10年経ってコロナの災厄である。思えば、長生きをすると、苦しい目に遭う。北海道南西沖地震阪神淡路大震災、新潟中越沖地震東日本大震災熊本地震北海道胆振東部地震など、記憶に刻みつけられている地震だけでも、これだけある。ひどい水害もあった。できれば、もう苦しいことはしたくないので、これからの平穏を祈るばかりである。