霞ヶ浦釣行2

 午前10時すぎ、雨天。気温9~15度。早朝から降っている雨は、まだ止まない。短い草のはえている庭に水溜まりをつくっている。

 先日、3月5日であったが、また、新川に釣行した。この日は単身で川に向かい、最初、新川の上流域の、関のある下流の元船着き場ところでキャスティングした。水底に水草の多いところで数度キャスティングすると、水草と思えない手応えがあり、ルアーが根掛りして、悪戦苦闘の結局ルアーを失うことになった。はじめにメタルバイブレーションルアーを失い、次にチャターベイト系ルアーを失った。これらのルアーは今回はじめて使用したものであり、私としては根掛りは不本意であった。すっかり興ざめしたので、この場所での釣りは止めにして、場所替えをして、新川河口付近へ移動した。

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 河口付近の堤防からの眺めは、いつ見ても気持ちがいい。折り畳み椅子を設置

して、ゆっくりと辺りを眺めるのは格別である。とくに、釣り用の偏光グラスを装着して雲を眺めると、世界は一変する。空には乱反射する光がなくなり、雲が立体物のように感じられ、雲間を飛行するジェット飛行機が、手に取って眺める模型飛行機のように感じられる。ジェット機の、翼の形がしっかりと確認でき、両翼のジェット推進器も確認できる。もしかすると飛行機の窓ガラスも見えたのかもしれない。そのぐらい、はっきりと見える。この経験は、自己認識一辺倒であった私をちがう世界に連れてゆくようであった。ちょっとした異次元空間をでも垣間見た気がしたものである。

 釣果は、いつも通りで、なにも無く、魚信すらない。この川にはブラックバスはいないのかもしれない。釣果がないのは私だけでなく、まわりで釣りをしている者たちは、ひとりとして釣れていない。私は、この二ヶ月のあいだ霞ヶ浦水系で釣れている釣りをしている人を見たのは一度だけであり、それはヘラ鮒釣りをしている人が、ちょうど魚を釣り上げるところだけであった。勿論、釣り人は幾人も見かけたが、ことごとく釣れていない印象である。

 釣れない釣りは、もはや釣りではなく、ただの体操にすぎない。全身運動である。そして、ヘラ鮒釣りは、座禅、瞑想であろうか。ヘラ鮒釣りは、川岸に座して終日じっとしている。霞ヶ浦水系の釣りは、どちらの釣りにしても仏教徒の修業に近い気がする。無念無想。もはや魚を欲せず、釣果も期待せず、併し、依然として釣行と云う作業はしている。釣行に結果がなければ、釣りは体操、踊りに近い。バス釣りは、短い釣り竿でルアー(疑似餌)を投擲する。両足を若干開いて、左足を前に出し、上半身をねじるようにして右肩右腕を使って釣り竿を操る。そして、右手右指を使って釣り糸を操り、ルアーを50メートル先の水面に着水させる。着水させたら、すかさずリールで釣り糸を巻き取ってゆく。リールを巻くときに、すこし釣り竿を手前に引き、ルアーに動きをつける。その動作を繰り返しておこない釣り糸を巻き取ってゆく。それを釣りをしているあいだは営々と続ける。釣れない釣りである。半ば釣れないと思っている釣りである。いや、半ばではなく、ほとんど、まったく釣れないと判っている。併し、釣行をやめない。