五十の手習い

 午後1時、晴天。昨晩は、深夜2時に、寒い部屋の中で尿意で目が醒める。尿意だけでなく頭痛もあり、併し、そのまま冷え切った便所で小用を済ませると、いよいよ頭痛がひどくなった。冷たい蒲団にもぐり込むと、暫時重病ではと思いつめ軀が冷たく白くなる感じで輾転反側した。苦痛のなか、むっくり起き上がり、藁にもすがる思いでお湯を両手に掛けてみる。だんだん意識がはっきりしてゆき、やはり苦痛の原因は強度の肩こり、腰のこりであると思い至った。手で首筋、肩、頭皮を揉みほぐしてみると、思いのほか瞬時にこりがほぐれてゆき、苦痛が解放されてゆく喜びしみじみ味わった。併し、横で安穏の寝息を立てている妻と私の距離はいかばかりであろうか。所詮苦痛は共有できず、また喜びも然り。幾千万回のこの反芻。ひとの子は、やはり孤独である。
 コレステロールの数値が高いので、通院して薬を貰っている。今日は午前10時半頃に前田病院へ行き、採血、血圧測定をした。血圧は上が120台で問題なし。併し、温パックなどを腰に貼って行くと血圧が130台になってしまう。であるので、温パックなしで出歩くが、寒い。薬局で薬を貰い、帰宅。
 昨夜から、また再開している習字である。私は習字が嫌いであるが、字を書かぬわけにもいかぬから習字をしている。文字は、漢字の世界は、茫洋とした大海原のようで、とりとめがなく、接しにくい。習字はは嫌いだが、漢字は好きなので、まったくの苦痛だけと云うものでもない。

▲以前から硯箱と筆は用意してある。水滴も時代のある骨董品を愛用している。