桜桃忌の日

 午前5時半ごろ起床。睡眠時間10時間超、朝型生活になりつつある。今日は小説家、太宰治の桜桃忌の日である。毎年のことであるが、この季節は雨ふりが多く、今年も雨雲の厚い雨ふりの日になりそうである。 私は今日、この雨天のなか三鷹に在る禅林寺に行き、約20年ぶりに太宰治の墓参をしようかどうか逡巡している。
 私は故郷を棄て、東京に身体があることを今更ながらしみじみと感じている。太宰治と私とをつなぐ心理的な距離は、私が故郷にいるときは意識の上にものぼらない程はるかに遠いものであった。併し、約25年前上京し、中央線の阿佐ヶ谷に住みつくようになってからは太宰が晩年に住んでいた三鷹と阿佐ヶ谷は無理をすれば自転車でゆける何キロも離れていない所となり、しかも太宰が入院した篠原病院は阿佐ヶ谷の駅近く在ったし、食堂のピノキオも駅前に在った。そう云う事実が私の意識の上で日常と非日常の差をすこしづつ埋めていったようである。
 東京に居ればこそと云うことがある。私にとっての太宰治墓参は、ハレである非日常の気持ちの昂ぶったお祭りであった。