貧乏と自由

 9月5日、午前5時すぎ、曇天。気温摂氏24度。この頃は、気がつくと、また夜型生活になっている。夜中机にむかっていて、思いつくまま、ちょっと書いてみたい。
 私は、永島慎二氏の漫画「若者たち」を読んで育った者のひとりである。漫画のなかで登場人物が言う。「・・・・・自分の好きなことをおし進めるために、まんぞくにメシが食えないということがあっても、まったくあたりまえなのだという顔つきだ」と云う台詞がある。
 私は、まったくもって青少年期の精神的教育を「若者たち」の世界観から受けたと言ってよかった。台詞の一つひとつが私のなかで血肉化され、私の発言、私の表現作品に現れていった。
 自分の表現を無理にでも押し進めようとすると、余程の資産家出身者でもないかぎり貧乏と云う現実につきあたる。私も、その貧乏と云うものに三十年来とり憑かれてきて、これからも魂でも売り飛ばさないかぎりは終生貧窮生活のなかに沈んでゆくものと思われる。
 併し、私は貧乏を恐れない者のひとりである。真の表現活動をする者にとっては貧乏は自由の裏か表であって、決して忌避すべきことではない。極論すると真の表現活動は貧乏生活をすることであって物質的生活から見放され金も名声もなく死んでゆく。それに死後の名声も期待できない。併し、そう云う活動のなかで表現活動をしてゆかないと、真の芸術になり得ないものだと信じている。
 つまり貧乏生活は、作家になるためには必要条件であり、貧乏に耐えられる資質は能力のひとつであると考える。作家にとって貧乏は恥ずかしい要素ではないのである。