きびしい日本

 午後1時、雨天。気温摂氏16度。こまかい雨が降っている。午前9時すぎに郵便局にゆき冊子小包を出す。しかし、冊子を出す段になって郵便局の窓口の女の局員より注文がつけられた。冊子は中身がはっきりとわかるようにして貰わないと受け付けられませんよ、と言うのであった。なるほど私の持参した郵便物は書籍を梱包する専用の紙器でつくったもので外からでは中身がわからなかった。これでは仕方ないと思った。また併し、女の局員は、郵便物の中身を見てからでないとと言い、また、ここの窓口で郵便物を確認した上で梱包しないと冊子郵便物として受け付けられないと言った。この注文は、私のほうでは今更梱包したものをその場で開封して局員に見せ、その後、包み直すなど出来るわけもなく、また、局員に荷物を見せてから窓口において梱包するなど出来るわけがなかった。つまり、私の冊子小包は受け付けないと言っているに等しかった。私は随分へんな言い方をする人だと内心憤慨していったが、併し、窓口で争っても仕方ないので、もう今日はここの郵便局で出すのはやめにして、他の郵便局か宅急便ででもだそうか、またはめんどうなので普通の定形外にしておこうかと思っていると、今度は、今日だけは受け付けますけど言ってきた。瞬間、ぐっと怒りが湧いてきたが、それは隠して冊子小包として出してきた。
 また、先日、コンビ二でメール便を出そうとB4サイズの冊子小包を持ってゆくと、2センチメートルを超えた厚みの物は受け付けられませんよ、と女の店員に言われた。私の荷物はなるほど厚みが2センチほどあり、コンビにで用意してある計測器で測ってみるとギリギリいっぱいと云うところでもあった。併し、女の店員は荷物を何度もこするように計測器をあてながら、ほらここがと言い、計測器がひっかかるところを私に示して駄目だと言わぬばかりであった。併し、女の店員が示すひっかかりは店員がなんども荷物をいじったために中の荷物が崩れてきたためにできたもので始めからあったものではなかった。併し私が、そのことを指摘すると、いかにも不満そうにしぶしぶ荷物を受け取るのであった。
 そして、また先日、友人にメールを送ると、今はそれどころではない等の返信があり、それはそうだろうと思ったが、併し、それどころではない状況をつくっているのは私ではなく、私は途方に暮れるばかりであった。
 それから、先ほど電話があり、半年ぶりの知人の方から、いきなり、なんとかならないかと言う話がきた。話の内容は、私がホームページに掲載している部分が問題だと言う。問題は私が掲載した私の版画の画像を誰かが勝手にどこかのブログに掲載したと言うことで、しかも問題点は私の版画が他の作家の物と混同されている点であるらしい。と云うことで私の版画が混同されないようにしろと言うことである。この注文は知人からのものではなく、知人の知人の知人から来た話のようで、それなら問題を指摘した人から直接私に話をしてくださいと、私の知人には伝えたが、知人はそれは出来ないと言う。では、この話は誰が問題視をしているのかが疑わしくなってくる。
 ひとは、時として難解な行動をとるようで、実は本人にも自分の行動が見えていないかもしれない。私にしてもそうかもしれない。今は日本は未曾有の混乱のときなのである。