LGBTQ+について①

 午後5時半まえ、曇天。本日の土浦市の最高気温29度。9月に入ったが、まだまだ暑い。夏は終わっていない。

 土浦市に流れる花室川に、バス釣りでもと思って自転車で行くが、狭い川のなかにバスボートを浮かべてバス釣りをする船が二艘もあり、嫌気がさして、ただのサイクリングになった。川岸ではバス釣りをする人も幾人かおり、釣りですら格差があり、嫌になる。

 LGBTQ+について、栃木県の市議が「隠して生きるほうが美しい」と言ったそうである。それにたいして反対意見が出ているそうだが、どんな場合でも、意見はいろいろあった方がいいと思う。LGBTQ+を肯定的にとらえる意見と、そうでない意見もあった方がいいと思う。

 思うに、LGBTQ+とは性的指向性であり、場合によっては性同一性障害という精神障害の場合もあるようだが、もっとも、この性同一性障害も、障害の表記に問題があるようで、なんと表記したらいいのか戸惑うことがある。

 兎に角、性的指向性のLGBTQ+は隠さない方がいいのか、隠す方がいいのか、それとも中間の感じがいいのか、である。そして、男らしさ、女らしさは必要ないのか、必要あるのかも考えてみたい。

 男らしさとは、なんであるのか。筋骨隆々とした体躯を誇示して白い褌をしめ神輿を担ぐ、ではないだろう。戦前では、我慢強い、無口、不言実行、いさぎよさ、落ち着き、判断力、決断力、能動的などであったそうだ。戦後になって、不言実行が有言実行になり、また、女性の発言力が増すにしたがって、男らしさの定義が変わったようだが、いまの令和時代は男らしさが判然としないようになっている。

 我慢強い、無口、不言実行、いさぎよさ、落ち着き、判断力、決断力、能動的は、なにも男性だけに備わっているものではなく、女性にも備わっている。これら個々の特性は、すべてが備わっているわけではなく、男性でも女性でも備わり方はいろいろであり、男らしさを示すもではないと思う。

 女らしさとは、しとやかで上品、なよなよとして気立てが優しい、感情、感受性が豊か、自分の子供を守ろうとする本能が強い、安全を好む、とある。たしかに、男性で、なよなよとして気立てがやさしいでは、男らしくはないだろう。併し、感情、感受性が豊かではある男性はいくらでもいるだろう。また、しとやかは女性を形容するときに使う言葉かもしれないが、しとやかは、性質や動作が物静かで上品であるさま、とあるので、なにも女性だけに限った性質とも思われない。それから、自分の子供を守る本能が強い、安全を好むは男性も女性に劣ることはないと思う。(つづく)