人生復活

 午後5時前、曇天。気温摂氏33度。今は、やや涼しい。とにかく、連日の猛暑で、日中の外出は控えるしかない。陽が落ちだしてから、そろそろと出掛けている。
 ようやく、このところ私は自分を取り戻しつつある。併し、やはり、三島ショックから完全に立ち直ってはいない。東京にいても、断続的に三島絡みの案件がいくつも私の日常を浸食していることにかわりなく、つとめて三島問題を考えないようにしているが、現実がそれを許さないようだ。それに、8月2日には、また三島に行って意に介さない用事を済ませなければならない。そして、さらに困難な問題が山積みしている。
 どうしても、この頃は、口を開けば愚痴になるが、気分をかえて、昔の記憶を辿ってみたい。

▲この縄文時代打製石器(全長10㎝ほど)は、三島市の奥山遺跡のある附近の畑からひろったもの。
 私は、中学2年生の頃、たびたび畑の畝のあいだに落ちている土器や石器をひろいに行った。それは毎週の日曜日ごと、夏も冬も約1年間は通ったので、随分と熱心であった。あの情熱は、どこから来て、そして、どこに行ったのか。結局、確かな帰着点を見いだせずに終わったが、今でも縄文時代にたいする関心は灰に埋もれた熾火のように燃え続けている。

▲この磨製石器(全長33㎜)は、私の複製品である。右方向に刃がついている。
 たぶん中学2年生の頃から、高校2年生頃の制作である。記憶が曖昧で、その頃の情熱にくらべて今の自分は少年の自分を裏切っているような気もするが、今では、とても及ばない闇雲な情熱がある。なにか別のものへと、この情熱を振り向かせればよさそうなものである。が、併しそれは、中高年の今になって、分別臭く言っているだけかもしれない。たしかに昔は苦しい青春時代であったが、今よりも更に何事にも打ち込めて幸せであった。併し、その当時は、それが幸せどころか、ただの苦しみ以外になく、ひたすら若い時間をのたうち回っていた。