「羅生門」制作続行②

 午後0時すぎ、晴天。室内気温摂氏17度程。寒さを感じてエアコンの暖房を入れる。すっかり軀が老耄している。すこしの寒さでも我慢がならず、また我慢しても仕方がない気もして、つい楽をしたくなる。
 木版漫画「羅生門」の制作は、順調だ。併し、その進み具合は亀のあゆみの如く、または植物の成長の速度の如くに極めて緩慢である。最初の1ページ目をはじめて、もう二週間以上経つのに、まだ彫り上がっていない。併し、また以前の版にくらべて聊か版が緻密になっているので、このくらいのものだろうと思う。

▲だいたい彫り上がった。あとは刷りながら調整の彫りを入れてゆく。

▲建物の版を刷ったら、その上に雨の版を加刷する。雨の版は、もう1版用意してある。いま、彫版中である。
 制作のあいまに本を読んでいる。「偽札の世界史」植村峻著(2004年刊)はおもしろい。随分まえに買って本棚に入れたままにしていたが、こんなに面白いなら、もっと早くに読んでいればよかった。この面白さは、きっと普通の、一般の人たちには理解できない面白さだと思う。つまり贋札づくりの者たちからの目線の面白さで、実際に贋札を作るか、または偽札を作ろうと考えている者たちが共通して持ち得るカタルシスだと思う。本文中に出てくる手描きの偽札犯などは、どれほど偽札づくりに興奮と喜びと、実益をあげていたことだろう。結果的に逮捕され、投獄されたが、併しそのことさえも喜びであったかもしれない。勿論、偽札作りは犯罪である。許されるものではない。併し、ちっぽけな一個人が、巨大な漠とした国家に刃向い、立ち向かってゆくさまはどうだろう。国家を運営する側も、国家に刃向う側もおなじ喜びの質のような気がしてならない。