法事へゆく

 午前8時過ぎ、曇天。昨日は、電車に乗って法事にでかけた。この頃は、遠出と言えば行楽ではなく、義理事ばかりである。
 伊豆の、原木に行ったが、着いた駅がひどい田舎であった。三島も田舎だと思っていたが、それどころではなかった。

原木駅のホームに降りると、ホームからは田畑の風景がひろがっていた。
 そして、ホームから改札を通るには、なんと線路を横切らないといけない。

▲この駅の昇降客は、2、3名であった。
 改札口は、無人。切符を投函する箱が設置されているだけである。

▲愛想のない箱に切符を入れた。

 駅前で、タクシーに乗ろうと思っていたが、タクシーはなかった。無論、路線バスもない。駅前の、唯一の喫茶店らしき飲食店は、扉に臨時休業の貼紙があった。つまらない思いで、仕方なく寺までの約半キロの道を歩いてゆく。
 寺に着き、墓の掃除をする。花を入れ、墓石に水をかける。そして、しばらくして本堂脇で、コートを脱ぎ、喪服の上着を着て、ネクタイを締め直し、待機する。本堂では、別の法事客が法事をしている。日曜日は忙しいようである。
 午後11時半すぎ、私たちの法事が始まった。僧侶の読経がはじまり、焼香をして、また、読経がつづき、私たちも僧侶の読経にあわせて読経した。お経は、区切りのないお経で、棒読みに、一気に読んでゆく。だから息が切れて、途中でお経が切れる。併し、棒読みのスタイルは変わらない。無理なことをしているが、改まらない。座蒲団に正座をすると足が痺れる。併し、坐る。足をくずして、胡坐にしてもよいそうだが、足が痺れることにはかわりがない。現代では、正座のかわりに椅子にすわるようになってきている。足や膝がわるい老人向けに変ってきているらしい。そういえば、現代的な葬儀会場はすべて椅子であった。世の中は、無理をしない合理的なものへと向かっている。