深夜に記す

 11日、午前3時、晴天。外は寒い。気温は摂氏3度程。木版漫画「羅生門」の雨版の彫版が難航していて、気分転換に4ページ以降の下描き原稿を作っている。雨版の彫刻は単調で根気だけがいる仕事で、ときどき休息が必要である。併し、5ページ目で、羅生門の位置関係を伝えるために朱雀大通りの絵を描いてみるが、平安京羅生門近くの風景は宏大な空地が広がり絵にならない。ここはひとつ思案のしどころである。
 木版漫画制作のあいまに、別冊太陽「俳句」(1976年刊行)のページを開いている。松尾芭蕉の俳句「古池や蛙飛び込む水の音」の芭蕉自身の手になる短冊を臨書してみた。すると芭蕉の墨書はまちがえ字のような、少なくとも上手な文字ではないなと云う感想を持った。勿論、それで芭蕉の業績が褪色することはないが。もっとも、江戸時代の俳人の殆んどは文字が上手くないなと思ったが、時代が下がって漱石樋口一葉与謝野晶子まで時代が下ると墨書の文字が美しくなる。これは、つまり江戸時代の俳人たちの墨書は日常使いの文字で、それ以降の俳人、文学者の墨書はよそ行きの他人に見せるための文字だから美しいのかもしれない。