蕩児の帰宅

 午前11時、晴天。気温摂氏12度。3月20日は、伯父さんのお葬式に出席していた。京都の園部と云う町であったので、東京の阿佐ヶ谷を午前5時半には出発して、中央線に乗り、新幹線に乗り、山陰本線に乗り、計4時間余りの行程であった。この町でのお葬式の参列は始めてで、20年ほどまえに一度法事にきたことがあったが、それ以来である。今回は、とくに私の父親の名代としての参列であったが、参列できてほんとうによかったと素直に思えた。私にとって伯父は、私の父よりも気分的に近い気持ちのする人であった。20年まえの法事のときに、親戚の集まるなか、父が私の仕事を否定的に言ったことがあった。そのとき伯父が私のことをかばってくれ、私としては伯父の存在が唯一のものに思え頼もしくもあった。私の父は、子供にたいして否定的な物言いの躾が主流で、叱られることはあっても、褒められることは皆無であった。私は父が恐ろしくはあっても親しめる存在ではなく、常に理想の父親像をもとめる気持ちがつよかった。
 私は、園部の町では長年遊蕩者の謗りをうけるものであったのかもしれない。または、私は存在すら気に掛けられることのない泡沫であったのだろう。泡沫はいまも変わらないが、私の気分としては、ようやく気持ちの帰宅ができたような気でいる。
 また、園部の町をはなれ、京都で平安神宮の應天門を見学取材し、その帰路、バスに揺られていると案内アナウンスの声が三十三間堂と言った。偶然、バスは三十三間堂の塀に差し掛かっているのであった。そして、丁度バスの昇降口のところにバス停があった。私は、咄嗟に運転手にバスを降りる旨告げ、バスを飛び下りた。
 三十三間堂では、若い僧侶が大きな観世音菩薩坐像にむかって朝の読経をしているところだった。坐像は見上げるほど大きく、僧侶も目の高さに坐し読経している。太い大きな蠟燭が二本僧侶の左右に立ち、大きな炎がゆれていた。私は、偶然の観世音菩薩との邂逅をしずかにうけとめ、伯父の冥福を祈り、手をあわせた。