部屋の掃除

 午後5時すぎ、曇天。気温摂氏12度ほど。肌寒いが、掃除をするには丁度いい気温である。

 日記を更新しなくなって、ひと月ほどが経過した。なにか、こころの心棒がはずれた感じになっていた。父親の一周忌法要を済ませて半月以上が過ぎた。法要を済ませて、ひとつ肩の荷が降りた感じである。

 そして、今は部屋の片付けをしている。約25年ぶりの掃除である。

庭そうじ

 午後1時半すぎ、曇天。気温摂氏12度ほど。わりあい暖かい。

 年来の気懸りであった庭掃除に着手した。と、言っても10分ほど動いただけで疲れてしまい、小休止になる。そして、部屋のなかに戻って思案する。思えば25年も放置してあるので、すぐに、どうこうと云うことにはならない。

 庭掃除をはじめたのは、なにか身辺に変化の兆しがあるからであるが、具体的に、どう云うものか言いにくい。しいて言えば時間は確実に経過している、と云うことだろう。時間の経過は、こちらの意図とは別に変化をもたらし、変化をもとめてくる。

 1年後の自分の姿を想像すると、どちらの方向に行ったとしても、とてつもない姿になっている。それは楽しみのような不安のようなものである。

うらたじゅんさんの蕎麦猪口

 午後5時すぎ、曇天。気温摂氏5度ぐらい。買物で外に出ると、まるで冷蔵庫のなかのようで震えあがっている。

 アイパッドで検索していると、画面が意図しない画面に変り、訝しく思っていると、画面中央に「うらたじゅん」さんの名前があった。最近お逢いしていないので、懐かしいような気持ちで、名前のリンクをクリックしてみると、なんと訃報であった。2019年2月7日、逝去。64歳とあった。いったい、何のことか瞬時に理解できずに、しばらくすると悲しい気持ちが湧きあがってきた。

 うらたじゅんさんには、私はお世話になったと云う気持ちがつよい。あまり理解されない私の仕事を理解して、グループ展覧会へ参加を促してくださった。そして、うらたさんは永年闘病されていて、その生き方、仕事ぶりなど学ぶところが多いと感じていた。

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 上掲の画像のなかの磁器の蕎麦猪口は、うらたじゅんさんが絵付けをされたものである。随分以前にうらたじゅんさんの展覧会場で見つけ、購入したもので、いつでも私の本棚にあり、ときおり眺めては、うらたさんの仕事に思いを馳せていた。今は、ただ、うらたさんのご冥福を祈るばかりである。

 

エアーフィッシング

 午前11時すぎ、晴天。気温摂氏10度程。天気晴朗なれど風つよし。この頃は、木版漫画の冊子刊行もひと段落して、今は空白期間と云うか、お休みにしている。

 先日、釣り道具のルアー(疑似餌)の整理して、それを壁に掛けていたら、なにやら40年前の感覚が蘇ってきて、郷愁と云うのか懐古と云うのか、いまルアーを中心に釣り道具に熱中している。もっとも、ルアーのみに熱中しているのではなくてルアーフィッシングに熱中しているのであるが、今の時季はルアー釣りにとってはオフシーズンで、まだ寒いので春まで待たねばならない。で、あるから、釣りをしている空想、エアーでフィッシングをして熱中しているわけである。

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▲アブガルシアのルアーケースに入れたヘドン、ラパラのルアー。

 中学生時代に買えなかったアメリカ製、フィンランド製、スエーデン製の未使用品に近いルアーをヤフーオークションなどで買い集めている。あの頃は、日本製のオリムピックやダイワの、海外ルアーの安価なコピー品しか買えなかった。そのときの思いが、いま出ている。そして、アメリカ製のフェンウィックの釣竿を求め、リールはフランス製のガルシアミッチェル300を入手した。これらの釣り道具は今では時代遅れで、機能的にも劣っているが、併し、あのときの思いを叶えるには今の釣り道具では駄目である。あのときを、もう一度再現して、やり直さなくてはならない。

 それから、釣り場である。残念ながら東京都内では近くの有力なバス釣り場は限られていて、多摩川、荒川などは電車に乗って行かねばならない。もともと釣りなどは手軽に無料で出来るものと思っていたので、金が掛ると云うのは心外であった。併し、多少は、金が掛っても釣りをしてみたい気持ちがある。釣りは、魚とのやり取りと云うよりは、魚を取り巻く環境との対話である。釣れなくても自然のなかに居て気持ちが良くなれればいいのだろうと思う。

ムンク展へ行く

 午後4時頃、曇天。気温摂氏12度。やや暖かい。昨日は上野へ行き、東京都美術館開催中のムンク展へ行って来た。午後2時頃からの、ゆっくりとしたスタートであったので、上野に着いたときは午後3時すぎであった。
 美術館の建物前に到着したとき、変異を感じた。展覧会開催中に館内で、なにか有名歌手のコンサートでも開催されていると思った。

▲この行列は一部分であり、全長は300m以上あった。
 訝しく思いながら行列に近づいてゆくと、この蛇のように長い行列はムンク展を見る人たちの行列であった。
 美術館の職員はデパート店員が持つような、「最後尾はこちら」の看板を手にして、私たちに最後尾に並ぶように指示した。すぐに私は職員に訊ね、待ち時間が90分であることを知った。90分といえば、私が立ち歩いて、絵画を見て回る制限時間を超えている。私は、せいぜい60分立って歩き廻るのがせいぜいである。これを超えると、どうもいけない。帰りのときに歩行困難となりひどい目に遭う。前売り券の払い戻しができるかと訊くと、それはできない、と言う。チケットはふたり分だと3000円を超えている。いろいろ逡巡していると、やがて、行列はそろそろと前進しだした。案外、早く入口まで行けるかもしれないと、自分に言い聞かせるような、どうにもならないときには、どうすることもできない等思いめぐらしていると、30分経ち、建物の入口が見えてきた。しかし、今度は入口からはずれて、ぐるっと入口を見送るように迂回して行列はあった。絶望的な気分になって、しかし、行列する人たちは不平を言う者はなく、むしろ平然と寒空での行列を楽しむような、誇らしい気分でいる者たちばかりで、唖然とした。立ち続けて足腰が痛いのと、寒いのですっかり憔悴していると、やっと、入口のエスカレーターに乗る順番がまわってきた。しかし、建物内に入っても、そこから、さらに会場入口まではフロアー一杯に広がった人たちで埋め尽くされ、行列ではなく、今度は人だかりのような具合になっていて、少しでも早く前に進もうとする人たちの争いとなり、私たちはいったい何をしに来ているのか判らなくなってきていた。少なくとも文化的ではない。そこまでして見るようなものではない。辿り着く先にはムンク「叫び」の絵がある。これは、悪い冗談のようだ。しかし、地獄に足を入れた以上は、文句は言うまい。来たやつが莫迦なのである。地獄のような煉獄のような亡者の群れに押されつつ足を運び、ようやく、会場の入口に入った。と、思ったら、マキコだけ先に入って、私は館員に足止めをされた。しかし、連れが先に入った、と言って無理に入場した。すでに腰は限界にきていて、会場に入るなり、洗面所付近の椅子に腰かけて10分間以上の休息をとった。会場はどこも、人だかりで、絵がまともに見られない。どの絵にも人の頭、肩があり、アタック25の虫食いパネルのようになっている。これでは正常な鑑賞など望めない。ムンクの絵は、暗かった。こんな暗い絵を並んで見る人たちは亡者以外の何者でもない。しかし、その亡者に私たちも含まれていることに慄然とする。「叫び」の絵は、展示スペースが照明を暗くしていて、尚更、暗い雰囲気の絵になっていた。