ムンク展へ行く

 午後4時頃、曇天。気温摂氏12度。やや暖かい。昨日は上野へ行き、東京都美術館開催中のムンク展へ行って来た。午後2時頃からの、ゆっくりとしたスタートであったので、上野に着いたときは午後3時すぎであった。
 美術館の建物前に到着したとき、変異を感じた。展覧会開催中に館内で、なにか有名歌手のコンサートでも開催されていると思った。

▲この行列は一部分であり、全長は300m以上あった。
 訝しく思いながら行列に近づいてゆくと、この蛇のように長い行列はムンク展を見る人たちの行列であった。
 美術館の職員はデパート店員が持つような、「最後尾はこちら」の看板を手にして、私たちに最後尾に並ぶように指示した。すぐに私は職員に訊ね、待ち時間が90分であることを知った。90分といえば、私が立ち歩いて、絵画を見て回る制限時間を超えている。私は、せいぜい60分立って歩き廻るのがせいぜいである。これを超えると、どうもいけない。帰りのときに歩行困難となりひどい目に遭う。前売り券の払い戻しができるかと訊くと、それはできない、と言う。チケットはふたり分だと3000円を超えている。いろいろ逡巡していると、やがて、行列はそろそろと前進しだした。案外、早く入口まで行けるかもしれないと、自分に言い聞かせるような、どうにもならないときには、どうすることもできない等思いめぐらしていると、30分経ち、建物の入口が見えてきた。しかし、今度は入口からはずれて、ぐるっと入口を見送るように迂回して行列はあった。絶望的な気分になって、しかし、行列する人たちは不平を言う者はなく、むしろ平然と寒空での行列を楽しむような、誇らしい気分でいる者たちばかりで、唖然とした。立ち続けて足腰が痛いのと、寒いのですっかり憔悴していると、やっと、入口のエスカレーターに乗る順番がまわってきた。しかし、建物内に入っても、そこから、さらに会場入口まではフロアー一杯に広がった人たちで埋め尽くされ、行列ではなく、今度は人だかりのような具合になっていて、少しでも早く前に進もうとする人たちの争いとなり、私たちはいったい何をしに来ているのか判らなくなってきていた。少なくとも文化的ではない。そこまでして見るようなものではない。辿り着く先にはムンク「叫び」の絵がある。これは、悪い冗談のようだ。しかし、地獄に足を入れた以上は、文句は言うまい。来たやつが莫迦なのである。地獄のような煉獄のような亡者の群れに押されつつ足を運び、ようやく、会場の入口に入った。と、思ったら、マキコだけ先に入って、私は館員に足止めをされた。しかし、連れが先に入った、と言って無理に入場した。すでに腰は限界にきていて、会場に入るなり、洗面所付近の椅子に腰かけて10分間以上の休息をとった。会場はどこも、人だかりで、絵がまともに見られない。どの絵にも人の頭、肩があり、アタック25の虫食いパネルのようになっている。これでは正常な鑑賞など望めない。ムンクの絵は、暗かった。こんな暗い絵を並んで見る人たちは亡者以外の何者でもない。しかし、その亡者に私たちも含まれていることに慄然とする。「叫び」の絵は、展示スペースが照明を暗くしていて、尚更、暗い雰囲気の絵になっていた。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの立場

 午後5時すぎ、曇天。気温摂氏6度。外出すると、やはり寒い。部屋のなかでは、エアコンの暖房を30度設定、強風にしているが、寒い。隙間風のせいかもしれない。
 寒い部屋のなかで、ひとり、ぽつんと座して、ふと、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの立場について考えてみる。彼の、現在の美術的価値、意味と云うことではなくて、彼の生前での立場についてである。巷間伝えるところによる、貧窮、孤独、低評価、精神病罹患など、芳しくない立場についてである。
 私の置かれている立場についても考える。貧窮、低評価はおなじである。併し、表面的にはわたしは孤独ではない。精神病も罹患していないと思っているが、五十歩百歩といったところか。すくなくとも加齢による精神状態の変化、筋肉が衰えるのとおなじで、脳髄も衰えているのを実感している。精神病でなくとも不安はある。衰えの内容はおもに、繰り返しや物忘れ、そして、執着である。思い込むと盲進となる。しばらくすると、はたと気がつき、執着がなくなり元の精神状態になる。
 ヴァン・ゴッホは自分の絵画の低評価に悩んでいたと思う。実弟から援助を受けての生活は、どんなに鈍感な人物でも忸怩たる思いがあるはずである。ヴァン・ゴッホのような感受性が豊かで傷つきやすい神経ではたまらなかったと思う。事実、社会生活のなかで追い詰められ自殺に落とされていった。即死ではないので、尚更哀れである。
 これは私の憶測だが、弟のテオは、兄の仕事を認め、世間に堂々と発表すればよかったと思う。テオは画商の仕事をしていたので、適任であったはずである。しかし、積極的な絵画の発表、販売をしなかった。そのことが、どれほど兄の心を傷つけ、そして、死に追いやったことか。
 併し、弟テオの感受性も兄に劣らなかった。兄の死を追うように半年後、自分も精神病院で死んでしまった。ヴァン・ゴッホ兄弟の悲劇は、兄の仕事を自信をもって認められなかった弟の遠慮にあった。
 仕事を続けてゆく上でなにより大切なことは、自信である。この自信はなかなか身裡に留まってくれない。
 ・・・はたと気がつく。このようなことを過去にも書いた気がする。

2019年を迎えて

 午前0時前、晴天。気温摂氏2度。ゴミボックスに、もえるゴミを容れようと外にでると、冷蔵庫の中のように寒い。薄着のままだと、さらに冷凍庫のように感じてくる。
 今年は、新年早々の、1日に書初めをした。

▲「貧」の文字を人に見立てて書いてみた。「貧列図」と云う作品名をつけた。
 妻は、この習字を目にすると、眉根をよせて嫌な顔をした。私は弁解しながら「貧」の文字は貝を分けると書くから、決して悪い文字ではないと主張した。しかし、上掲の書は嫌な雰囲気である。貧者のなかにも優劣があり、貧者の中の貧者は居場所を失い、生きてゆけない。
 新年早々縁起でもない不穏な作品であった。しかし、昨今、日本を取り巻く情勢は不安定で、平和な感じではない。この場合の貧しさの原因は、心の貧しさから来ている気がする。ひとは失うものがなくて成功するはずはなく、ここのところが判らず、根拠のない自尊心に溺れると哀れなことになる。それと虚偽の世界に浸かると、もう引き返せないものかもしれない。どれが、ほんとうだったのか判らなくなり、嘘でも押し通せば真実になる世界観に本物の未来はないだろう。・・・なんだか書いていて虚しくなってきた。やはり世界は混沌としていて摑みどころがなく、捕まえても、ぬるりとすり抜けてしまう。
 私の習字は、「二番煎じなアートな気分」に幾枚か掲載してありますので、ご覧ください。

木版漫画「羅生門」冊子完成 !!

 午後6時半、曇天。気温摂氏10度ほど。いよいよ木版漫画「羅生門」の冊子も用意が整った。しかし、ホームページの不具合で冊子の広告がホームページ内で掲載できていない。仕方がないので、急遽、ホームページが復活するまでは日記欄で宣伝をしたいと思う。


木版漫画 羅生門 芥川龍之介/原作 藤宮史/版画
B5判 表紙/オフセット印刷 上質紙135㎏ 本文/簡易リソグラフ印刷 上更紙
                           漫画34ページ 650円

▲表紙絵は羅生門の内容と直接関係がないが、下人の行く末を想像して描いてみました。

木版画で印刷したあとに手彩色をしたものをオフセット印刷しました。

▲小口を手作業で裁断しているので、多少ギザギザしている物もあります。ご容赦ください。






普及版とは別に特別版を100部用意しました。


〔特別版〕添付版画「野菊」

▲プレス印刷、手彩色に多少のちがいがあります。


ドライポイント、多色木版、手彩色
限定30部(この版画は30部発行だけです)
版画サイズ/65ミリ×75ミリ
特別版 1800円


よろしく、お願い致します。

漫画雑誌アックス126号に掲載!!

 午後3時半、曇天。気温摂氏10度ほど。ときおり小雨が降っている。室内にいても、台所に立つと寒い。本格的に冬になったと実感している。
 ようやく木版漫画「羅生門」が完成して、漫画雑誌アックス(青林工藝舎)126号に掲載された。ここまで来るのに、とにかく遠かった。ゴールが遥か彼方に霞んでいて、何度も制作途中で挫折しかけた。

▲漫画雑誌アックス126号に掲載された木版漫画「羅生門」。
 雑誌に、劇的な画像イメージとして印刷されていて嬉しい。漫画は34ページである。冊子も刊行準備を進めているが、アックスの印刷と冊子の印刷具合は多少ちがうので見比べて頂きたい。
 話はかわって、先日、過去のルアーをケースにまとめていたら、なにやら昔の感覚が蘇ってきて、ルアー熱と云うか、釣り熱と云うかが湧きあがってきた。約40年ぶりの情熱である。今は暇があれば、ネットのなかでルアーを検索したり、ルアーの歴史などを調べている。中学生の頃は、釣りは、そのまま釣果だけを気にするものだと思っていたところがあり、ルアー自体の造形が気になりながらも深く追求することはなく釣り熱は消えていった。情熱が消えた理由としては、中学生から高校生になる頃で、受験勉強で忙しくなったのと、また釣果があがらず、釣りのたびにルアーが水底の根掛りで失われていったことによる。ルアーマニアとしては、ルアーが失われることは、なによりも辛いことであり、魚が釣れることよりもルアーが温存されることを願うものだ。これでは釣り人としては本末転倒のようだが、仕方がない。見ているものが違うのかもしれない。