被害者から加害者へ

 午前1時半すぎ、雨天。気温23度。外ではぽつぽつ雨が降ってきている。千葉の被災地の屋根が気懸りである。

 咳止め薬を多用して中毒している若者が増えていると云うのネット記事があった。薬乱用の目的は一時的な多幸感獲得である。「死にたい」「消えたい」などの感覚から遁れるためとある。傷ついている者のなんと多いことであろうか、と思う。

 傷つくで、思いおこすのは、なにも若者だけではない。中高年でも、場合によっては充分傷つくのである。連日の韓国による反日抗日報道にズタズタに気持ちがなっている。言いがかり、難癖、韓国にたいしては、こう云う言葉を連想してしまう。実際、加害者意識のないわれわれにたいして、無理にも加害者として立場を演じさせ、そして、金銭を要求し、永遠の謝罪を要求している。はっきり言って、被害者意識だけの韓国人はタカリ屋であり、被害者から加害者になっていることに気がついていない。永遠に被害者意識だけに閉じ籠っていると、それは、もう精神病者の世界である。たしかに約100年前に日韓併合をして、韓国人のプライドは傷ついたかもしれないが、もう100年もまえのことである。しかも、今では当事者はほぼいないであろう。そして、74年以前の戦争。戦争被害者として、または被害者遺族としての賠償請求。度を超すと被害者から加害者に転じることもある。そうなりつつあり、日韓関係は破綻に向かっている。もうすこしで、国交は断絶するだろう。これは韓国が望んでいることであり、日本は望んでいない。民主主義国家の韓国を日本は望んでいるが、もう今の時点でも韓国は民主的とは言えない状況になっている。

 こう云う文章を書かせるのは、だれも読んでいなくとも、私の危機感からである。ストレスを感じているからである。韓国関連の諸問題が発生してから、私は自分なりにいくつか韓国関係の書物を読み、知識を増やしてきた。しかし、それらは本来不要な知識で、本当なら欲していない類いの知識である。もともと私は朝鮮半島には興味はなく、半島を調べてみると、やはり興味の持てる地域、文化ではなく、私には不要なものであった。しかし、こちらに絡んでくる暴漢の如き反日韓国人にたいして身構える必要があり、いやいや知識を蓄えていったが無駄に思えるものであった。

 ネットの記事には、日本のマスコミや、日本の一般人のネットの嫌韓反韓の書き込みを自粛しろとのものがあったが、これは無理な要望である。こちらは過度のストレスを感じており、自衛のために書いているのである。精神のバランスをとるために必要なのである。殴られるだけで、声も出せないのでは、もう死ぬしかないだろう。兎に角、自分には身に覚えのない加害意識で声を殺して痛みに耐えることはできないのである。