庭そうじ

 午後1時半すぎ、曇天。気温摂氏12度ほど。わりあい暖かい。

 年来の気懸りであった庭掃除に着手した。と、言っても10分ほど動いただけで疲れてしまい、小休止になる。そして、部屋のなかに戻って思案する。思えば25年も放置してあるので、すぐに、どうこうと云うことにはならない。

 庭掃除をはじめたのは、なにか身辺に変化の兆しがあるからであるが、具体的に、どう云うものか言いにくい。しいて言えば時間は確実に経過している、と云うことだろう。時間の経過は、こちらの意図とは別に変化をもたらし、変化をもとめてくる。

 1年後の自分の姿を想像すると、どちらの方向に行ったとしても、とてつもない姿になっている。それは楽しみのような不安のようなものである。