片付けをしていると

 午後2時半、曇天。気温摂氏12度。厚着をしないと外出はつらくなった。昨日は、小さい銅版画を10枚プレス印刷して、今はやや腰に疲労感があるので、腰をやすめる為にも今日は自転車に乗って出掛けた。図書館へ着くと、館内のパソコンでジャズのCDをリクエストする。そして、近所の薬局へ行き、ティッシュ2箱等を買う。
 帰宅して、片付けをしていると、ノートの間から紙片が出てきた。今年の、随分気忙しかった頃の書付である。ちょっと、感じるものがあるので、記載してみたい。


       学校への道  '18.2.19

 ゆく道をわすれて迷った
 二年間は通った道であったが判らなかった
 母校は建物がかわり、校名もかわって近隣の風景もかわっていた
 本屋もなく、隣家の肉屋も皆の時間も跡かたなく、メンチカツの匂いも消えていた
 すべてが無かったことになっていた
 だれも、私をしらない
 ただ、路面の、側溝の古びたコンクリート製の蓋だけは
 三十五年経った今でも私の足の裏をおぼえているよと言ってくれた


 感傷的な、詩篇の如きものである。推敲はしていない。これを書いた日は、父が逝去する5日まえであった。そして、2月27日には下記のものを書いた。 


 死ぬと、歩けない。もうオレンジジュースもコーヒーも飲めない。あれだけ旨いと言っていた寿司もたべられない。もう、歩道のどこにも居ない不思議を感じている。('18.2.27)


 父が死んだのは、2月23日の早朝であった。2月27日は葬儀も終わり三島の借家から退去する前日である。台所と和室が三室ある家のなかには家具はなく、蒲団と小卓だけで、私ひとりだけで寒々しかった。はっきり覚えていないが、たぶん、27日は自転車に乗って国道一号線の新谷線と交差する交差点の歩道を眺めていたのだろうと思う。上記の感慨はその場所でのものである。父は生前、オランジーナという飲料が好きであった。そして、スーパーマーケットから買ってくる1000円前後の寿司を、旨い、旨いと言っては食べていた。併し、何度寿司を食べても、毎回はじめて食べるように喜んで食べていた。