やはり「羅生門」の彫版

 午後1時半頃、晴天。気温30度。台風7号が関東地方に接近しつつあり、風が強く吹いている。
 先日、また、法事で伊豆へ行った。度々なので金銭的、肉体的疲労は深刻である。母の1周忌法要が去年の晩春にあり、今年の春先に父が亡くなり、葬式をして、しばらくして四十九日法要をして、そして、母の3回忌法要をした。次は、8ヶ月後に父の1周忌法要が来る。父が生前に、私たちに相談なしに建立した墓のつけが回ってきている。父は、自分で祖父や祖母たちの法要を一度もやったことがなかったので、墓の建設だけに腐心して法要にどれだけの手間と金銭が掛るのかを計算できなかった。実際、母と父の法要に必要なお金は葬式の費用は別にして300万円以上は掛る。もっとも、33回忌までをすべてやるとしてら、と云うことであるが、33回忌には私の年齢も80代になっていて、勿論、そのときに生き残っていなければならないが、父母の健康寿命を考えると私もその頃には老耄して、とても墓前に行けそうもない。墓だけ建てて読経も写経もせず、ほんとうの信心がなかった父のために墓参して法要するのは如何なものだろうか。
 木版漫画「羅生門」の彫版は33ページ目に入っている。全34ページなので、もうすこしで彫版は終了する。彫版終了は有り難く、併し、彫版作業そのものは苛酷で、腰がひどくコリ、足腰が立たない状態になる。そして、両肩もこわばって両手にもチカラが入らない。もっとも暫くすると快方するが、一時不自由になる。杖をつき、歩く老人の気持ちが判るようになった。
 小説「土の中の子供」中村文則著を少し再読。小説のエピソードが暗く、救いがなく、気持ちにしっくりきて小説世界が頭のなかに広がってゆく。いま、私の、こころの健康状態はわるいのかもしれない。