デカルコマニー的思考

 午後3時半頃、曇天。気温27度ほど。いよいよ春本番である。併し、どうかすると夏日のような日がつづく。
 私は、木版漫画とは、ちょっと違った編集作業をはじめてから2年以上が経っているが、まだまだ発表できる段階ではない。木版漫画の作業をしていないときは、だいたいこの作業をしている。そして、このたび、またちがった事もしてみた。以前に「二番煎じのアート」なるものを、せっせとやっていたが、今度のは、美術的な作業の初歩の初歩といったところをやってみた。つまり、このところ、なにを見ても、なにをしても、あまり感動しなくなっていて、これでは、いかん。これでは、つまらん。と思って、あれこれ思案してみたが、やはり、自分が気になること、好きな方向性は美術的なものに限定されているようである。

 これは、デカルコマニーという美術技法のひとつである。美術家のマックス・エルンストの作品が有名であるが、私は、瀧口修造の小さなデカルコマニー作品が好きである。その瀧口の作品群に刺激されて作ってみたが、絵具の水分量の多少によって、随分印象のちがうものが出来上がってくるようである。

▲絵具の塗り方により四角もできるし、丸くもできるが中身はおなじ様子である。
 デカルコマニー的形象は、用紙、絵具、水分という地球での生成関係で、結果、どこかで見たことがある様子になるらしい。たとえば画面にある水脈のような血管のような形は、やはり、地球上の物質ならではの形象だろう。