日曜日は雨

 午前2時すぎ、雨天。夜半から降りはじめた雨は本降りになっている。この頃の、天気予報はよく当たり、予報と云うよりは天気予定のような塩梅になっている。
 連日、習字に勤しんでいるが、併しすぐに、これと云った結果がでないことを遣り続けることは骨が折れる。それに、集中して一時間も書いていると、すぐに右手の筋が強張って筆が執れなくなる。それに腰が凝り、両肩が石のように硬くなる。若い時とちがって、今は無理ができない。無理をすると、あとで覿面に軀にでる。もう若くないと云う実感は辛いものだ。これからは、ずっと無理がきかない軀と云うことを、それにつきあっていかないといけないわけで、私は、今頃になってしみじみ加齢による軀の衰えをほんとうの意味で実感している。
 思えば、私が若い頃にも当然年配者はいたわけで、彼らは、こんな苦しい思いをして生きていたんだなと思っている。それから、若い頃には、私も自然と体力があり、立ち仕事を一日10時間ぐらいは平気でやっていたが、今となっては、そんなことはとても出来る相談ではなく、1時間立って動くのがやっとと云ったところである。今でも若者たちは何も知らずに体力の安売りをしている。
 日々の屈託が溜まると、詩集を読んだり絵画を見たりしていたが、この頃の屈託はなかなか晴れない。これも加齢による屈託の質の変化によるものなのか、どうなのか判然としないが、兎に角、粘っこい屈託に閉口している。・・・もしかして、今も降り続いている雨と肩腰の凝りによる血行不良が原因かもしれない。それに、やはり習字がよくないのだろう。うまく書けないものを無理に遣り続けるのは軀に毒である。・・・雨は愚痴を誘発させるらしい。