それでも、進む

 午後3時前、晴天。気温15度。暖かい冬日である。有難い。昨日は、半寝の状態で、ネットでドラマを見ていたら、急にみぞおちの辺りがブルブルと痙攣して、暫し心臓発作を連想したが、心臓は苦しくなく、しばらくすると痙攣は治まった。併し、気持ちの動揺は収まらない。年々妙な軀具合が増えてゆく。結局、なにかしら大病の予兆なのかもしれないが、いまのところは判らない。50も半ばを過ぎると、妙なことが起きてもおかしくない。併し、妙なことが、世界規模の妙になると、静観もしていられない。今日、新型肺炎の死者数は490名になったとネットニュースでは伝えている。5日ほどまえは死者200名ほどであった。驚くほど早いペースで死者が出ていて、これで冷静になれとは、なかなか言えることではない。併し、慌てても仕方がない。いつも通り、マスクをして、買い物に出かけ、帰宅したら手洗いをする。これだけである。私は、以前から物を食べるとき、なるべく手や指を使って食べないようにしている。これは、以前妻が細菌性の胃腸炎に掛かり、そのようすを間近で見ていて、恐ろしくなったことがきっかけであったが、私は物を食べるときは、箸を使って食べる。箸先も流水で洗ったり、時として熱湯消毒してから使用している。指で、口、鼻の穴、目のまわりを直に触らないようにしている。以前、目のまわりを直に指で触っていて、目のまわりが腫れたりしていた。今では、それに懲りて直に指で触ったりしない。これらの習慣は、季節性のインフルエンザ予防や、他の感染症予防にも有効である。そして、私は年中外出時にはマスクを着用しているが、これは花粉症対策であったが、感染症予防にも有効であることは判っている。マスクを着用するまえからインフルエンザに罹った記憶がないが、兎に角、マスク着用以降の15年間はインフルエンザに罹らなかった。この論法でゆくと、新型肺炎にも罹らない筈である。マスク着用、手洗い、手指を口、鼻、目に直に触らないである。

疫病流行

午後1時まえ、曇天。気温15度ほど。わりあい暖かい。厳冬期とは思えない天候である。まあ、暖かいことは有難いことには相違ない。

 近頃、中国発の疫病が流行している。日本にも、いよいよ疫病が上陸したようすで慄然とする。疫病による死者も多数出ていて、今後死者数は増えてゆくようである。早く事態が収束することを願っている。

 28日の通院で、その日は雨降りであったので、結局6500歩ぐらい歩いてしまい、今だに足腰、体幹疲労が取れていない。運動会に参加したあとのような軀具合である。併し、昨日は、過去に描いた絵に手彩色を加えていた。

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 これは前回掲載した鉛筆画をもとに水彩画にしようとペン描きの状態で11年間以上放置していたものを昨日水彩絵の具で完成させたものである。

 

意外なほど早い

 午後6時まえ、曇天。気温9度。だんだん冬らしい気温になってきた。運動不足解消のため新しい万歩計を買ってポケットに入れているが、寒さが募ると外出も億劫になる。

 せめて部屋の中でも軀をうごかそうと、部屋の片づけをはじめた。すると天袋から、まったく忘れていた絵が出てきた。

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 8年6月30日と記載があるので、11年半ほどまえの物である。どう云う心境でこの鉛筆画を描いたのか、それも覚えていない。併し、絵を見ると、たしかに私が描いたのに違いはなかった。描いた記憶はある。また併し、11年半も時間が経っているようには感じられなかった。そして、こんな物も出てきた。

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これは07年10月とあるので、上掲の絵より、もうすこし古い。これは、まったく忘れていた。私は近頃、押入れ頭男のモチーフで街の絵を描こうと思っているが、すでに描いていたわけである。これはメゾチント版画である。

 

一日のはじまりは

 午前11時半まえ、雨天。気温3度ほど。雨に混ざって雪も降っている。今年一番の冷え込みである。

 昨日は、半日かけて、ゆっくりと写経をした。薄い和紙に、鉛筆で薄く枠線を描き、細い筆で墨書した。いくら書いても、うまく書けない。併し、一所懸命書いた。父の三回忌法要は今年二月の末である。今回の法要は、いよいよ身内で、しかもマキコとふたりだけで自宅でおこなうことにした。自宅法要は諸般の事情によるが、だいたい宗教行事はお仕着せの、他人任せのことが多い。宗教は心の問題であるので、形にとらわれるのは本末転倒であろう。

 写経をすると、いろいろと「もの」が見えてくる。まず、筆を執り、ゆっくりと、丁寧に、ひと文字を書くと、何故、いま私は文字を書いているのか、の自問が発生する。写経のため、であるが、では何故、写経をしているのか、である。写経は三回忌法要を寺でおこなえない為の代替行為であるが、今までの、寺での法要は、写経ひと文字に匹敵するだけの法要はできていたのか、と云うことである。お布施と云うことで、お金を払えば法要ができていたと思うのはまちがいである。

 

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 私の、一日のはじまりは、一杯のコーヒーからはじまる。このカップは、三島の実家のサイドボードのなかに大切にしまわれていた来客用のカップである。今では父の遺品のようになってしまったが、毎日愛用している。寺の僧侶は言っていた。数年に一度でも、故人を思い出すのが法要になるのだと。併し、私のところでは、数年どころか、毎日のように故人を偲んでいる。良いところも、わるいところも思い出している。法要は、お金を出すことではないと思っている。




 

 

新年早々色々と

 午後0時半すぎ、雨天。気温12度。新年早々、自分のことよりも、世間の動きがあわただしい。カルロス・ゴーン日産元会長は、日本から逃走して自分勝手な主張をし、今度はアメリカがイランを攻撃して、そして、イランはアメリカに報復したという。それと同時に、津久井やまりゆ園障害者殺傷事件の裁判のニュースが聞こえてくる。不穏な空気に包まれて、息ができない感じである。去年は、ひっきりなしに韓国の文政権の横暴にかきまわされた日本であったが、今年は韓国問題とは比べ物にならないぐらい危険な感じである。そう云う世界に身を置いているが、私としては、それらを横目で見ながら淡々と自分の生活をしてゆく以外にない。

 30年以上まえから書き継いでいる短句集「焦眉の風」の編集作業を再開している。この短句集は書名を「百人梟首」として銅版印刷ページの10部限定で出版し、その後、「焦眉の風」として銅版画装丁の20部限定で出版した。それから、いまから10年以上まえに再編集して、ページを印刷し、表紙の銅版画もすべて印刷して「新・焦眉の風」として100部発行の刊行を計画していたが、糸綴じ製本がうまくゆかず、また本文に誤字脱字をたくさん見つけて、落胆し、挫折して、そのままになってしまっていた。

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▲未刊行になった短句集「焦眉の風」装丁装画
 今度の「焦眉の風」は、製本を外部に出して確実に刊行したいと思っている。